雑記:仕事と付加価値

投稿日 2022年1月22日 最終更新日 2022年1月22日

前回の記事は下記のリンクより。今回は私の価値観をベースに仕事の付加価値についてまとめます。個人の価値観は人それぞれなので、こんな考え方もある程度で

雑記:時間効率で物事を考える


もくじ
1.ゼロサムゲーム
2.プラスサムゲーム
3.マイナスサムゲーム!?
4.養分にならないように
5.モノの価値と価格

1.ゼロサムゲーム
 さて、私がお金稼ぎに関して個人的に強く思うもう1つの価値観は、自分がお金を稼いだことで、他人が損をするやり方に対して努力をしたくないということ。これは投資と投機の違いみたいなところがあります。相場取引、とくに為替に関しては「誰かが得した分だけ必ず誰かが損をする」システムになっています。株もデイトレなどの短期取引になるとその要素は強いです。このような、全体の損益に変動がないシステムをゼロサムゲームといいます。

 つまり、限られたパイを奪うだけで大儲けしている人々がいるということです。逆にいえばその分だけ損害を出している人がいるわけですね。別にこのような取引をすること自体を否定するものではありませんが。ガッツリ勉強して、その後も新しい情報を随時更新して、もっと勉強して、その結果生み出すものが「他者の損」であることは非常に残念だなと個人的には思うというだけです。こうしたゼロサムゲームのお金儲けのことを「投機」というと個人的には考えています

 

2.プラスサムゲーム
 逆に長期的な株式投資では、投資先の企業の株価が上昇し続ける限り、その株を持っている人全員が得をし続けます。特に米国経済は長い目で見れば常に成長し続けているので、まともな米国株インデックスを長期保有していればトータルで必ず得をしている状態です。

 こうした、全体が成長すればみんなが得できるシステムのことをプラスサムゲームといいます。もちろん、売り買いをするタイミングが悪くて損をする人が出るのはやむを得ない事ですが。こうした、社会や組織、個人が成長することでプラスサムゲームを生み出すお金儲けの事を、投資というと私は考えています

 また、企業や個人事業主による生産行為は基本的に「付加価値を生む仕事」となっています。種から小麦を育てたり、小麦を小麦粉に製粉したり、小麦粉からパンを作ったり、生産されたパンを必要とされる地域へ輸送したり、輸送されたパンを一般の家庭へ販売したりこれら一連の行為はすべて付加価値を生み出しています。必ず誰かのための役に立っている、ということですね。
※いわゆる買い占め転売は、流通途中のモノを横取りして高く釣り上げて売っているだけなので付加価値的にはマイナスです。最終消費者目線では、本当ならもっと安く、もっと早く買えているはずですからね。

 どうせ頑張って何かをするなら、誰かにメリットをもたらす方がやりがいもあるし、心置きなく対価を受け取ることができますよね。私は仕事とは付加価値を生む行為だと思っているので、どうせ手間をかけてお金儲けをするなら「仕事」がしたいですね。

 

3.マイナスサムゲーム!?
 しかし残念ながら現在の日本(だけとは言わないけど)では、企業による活動すら対価に見合わないもの、または無を売りつけるような商法が横行しているのが現実です。

 そもそも論として国家そのものが、個人に対する税や社会福祉費の増大、企業に対する減税など、再分配機能が停止どころか逆分配になるような施策を実施し、それで余ったパイを既得権益層の身内どうしで分配するような政治を推し進め続けているので、企業たちもそれを見習ったようなところもあります(統治者がやることを人民はマネするとは古代中国の名宰相であった晏嬰も言っています)。

 こうなってくるともはや、一部の階級を除いた経済が「マイナスサムゲーム」で動くとかいう、よくわからない状態になっているとすら言えます。実際、一般人の関われる範囲内での経済は停滞の一方ですからね。

 そうしたある種のサイコパス的な政治を推し進める保守が「まだマシ」だからと選挙で勝ち続ける現状、本当にすごい状態だと思うのですが、話が逸れすぎるのでこの辺にしておきます。

 

 

4.養分にならないように
 ともあれ、このような世の中である限りは何も考えずに働いているだけだとどんどん損をしていく流れになっています。現に年収が上がらない&国から取られるお金は増えるというループに入っている人も多くなっています

 別に、バブル崩壊以前が手放しに素晴らしい時代だったと言っているわけではありません。しかし近年は年月が進むほど、庶民の首を真綿で絞める強さがどんどん強まってきていることが事実です。だからこそ、一般人も自己防衛としてお金に関する知識をつけて行動していくのが望ましいフェーズに入っているといえます。

 下の記事でも取り上げましたが、戦後日本の教育制度は基本的に、上に服従する社畜を育てる事に特化した内容になっていますからね。お金に関すること、行政のシステムの利用法などは意図的に教えていないとまで推測できてしまうのが現代の統治なのです。

雑記:経済的自由を目指すために

 

 そして以下の記事で取り上げたように、現在の政治家たちが無能であるという思い込みに囚われると本質を見失ってしまうのではないかと思います。彼らが本質的には人民のための政治を行おうとしているという前提を勝手に決めつけているに過ぎないわけですからね。

雑記:詐欺は壮大であるほど見破られにくい?~批判のための批判の無益さ~

 でも、いくらそれを批判しても現実は変わりません。結局のところ自分で自分のことをどうにかしなければ何も変えられません他人はコントロールできないからです。なので、せめて自分だけでも自己防衛した方がより良い生活に近づくことができるのではないかということです。

 

 

5.モノの価値と価格
 付加価値のあり方としては以前思ったことが1つあって、家族で買い物に行ったときに昼食の時間になり、とある大衆向けハンバーグチェーン店でハンバーグを食べたのですが、「これは家で作ったものと比べて別に美味しくはないな」と感じたのです。

 もちろん、出先で食べられること、材料を調達しなくて良いこと、調理を代行してくれることに付加価値はあるのですが、レストランでそれなりの料理を注文するのと同じ費用を取られるほどおいしくはなかったな、ということです。この場合、価格相応の付加価値とは思えないのが残念だな、と思ったという個人的な話でした。

 このように、モノやサービスを購入する際には、そのモノやサービス自体の価値に対する価格が適切であるかどうかという視点を持つのも大切ということですね。

 金持ちは資産を買い、貧乏人は負債を買うということばがあります。この発想で出費を行うときに考えるべき要素は価格が相対的に高いか安いかではなく、そのモノやサービスそのものの価値に見合う、またはそれより安い価格で販売されているかどうかが1つ。買ったものの価値が将来的に維持または上昇するものであることが1つ。

 これは将来に向けた自己投資も当てはまります(将来の自分の価値を費用に見合った効率で上げるなら◎)。もちろん、特に後者に関しては投資を意識した話であり、趣味や交友のために浪費として割り切って行う出費であれば話は別ですが。


 以上、個人的な価値観強めですが、ゼロサムゲームとプラスサムゲームや付加価値のあり方、現代日本の状態やそれに対する自己防衛の必要性についてまとめてみました。

まとめ
1.ゼロサムゲーム
⇒誰かが得すればだれかが損する。
⇒限られたパイの奪い合い。

2.プラスサムゲーム
⇒全体の総量が増えていく。
⇒みんなが得する場合も。
⇒付加価値を生む生産行為も実質こっち。

3.マイナスサムゲーム!?
⇒現代の特権階級による収奪が常態化。
⇒一般向け経済そのものが衰退している。
 「取り合えるパイの量」自体が減っている。

4.養分にならないように
⇒「知らない」ことが致命的な時代に。
⇒個人としては自己防衛するしかない。

5.モノの価値と価格
⇒他との相対価格ではなく価値で判断する。
⇒価値が下がらないor上がるモノを賢く買う人が強い。
⇒将来への投資も無駄ではない。
⇒浪費と割り切った出費は別のカテゴリ。

参考になりそうな図書のリンクも貼っておきます。