雑記:「村人A」からの脱却〜発信することの重要性〜

前回の記事の続きですが、内容はガラっと変わります。

 

人類総主人公時代
 近年、インターネットの世界は日進月歩、脅威的なペースでの発展を続けています。技術面でもそうですが、ビジネスにしろコミュニティにしろ、1つの異なる社会を形成するようになりました。例えば政治家や芸能人がさまざまな情報を発信するのにツイッターやフェイスブックなどを使うのが当たり前になったり、商品や株、その他サービスの取引をネット上で行ったり、仕事もネットワーク上で行ったりと、3次元世界ではない「別のリアル」を作り上げているといっても過言ではありません。

 そうした風潮の中、芸術や創作、情報発信といった元々ごくごく一部の人しか参与できなかった活動に対して「だれでも参加できる」という風潮が生まれてきて、ある種の「人類総主人公時代」とでもいえる空気ができてきたと考えることができます。

 その端的な例として、動画配信における「youtube」、文学における「小説家になろう」、音楽における「nana」などが挙げられます。いずれも最低限の知識と技術(と表現するレベルですらないかも)さえあれば日本中、あるいは世界に向けて発信することができます。もちろん、コンテンツとしての質を上げるためには、本業に匹敵する技術が必要なことは言うまでもありませんが。

 

便利すぎるが故の弊害
 しかし実際のところ、こうした「間口を極端に広める」媒体の普及が生み出した現象はある意味「人類総MOB化時代」とでも呼ぶことができる、一種の情報の洪水を発生させてしまいました。「だれでも簡単に投稿できる」ので、質の良くないコンテンツも無限に増大していき、質の良いコンテンツをすらその中に埋没させてしまいます。よって、コンテンツを享受する側からしたら、砂浜から宝石を探すような手間を生み出してしまったわけです。ものすごく良質なコンテンツでも、ただ投稿しただけでは注目される可能性は低いわけです。

 いくら有益な動画を投稿しても、いくら名作の小説を書いても、いくら上手な演奏を投稿しても、見てもらえなければ評価はされません。せめて検索からでも人の目に触れることがなければ、存在しないのと同じになってしまいます

 SNSでもそういう傾向はあり、フォローやフォロバはするものの特段のアクションはとらず、個人的な近況や質問などを無作為に垂れ流すアカウントは多いと思います。しかしこれは客観的に見てある種の「村人A」のような状態です。RPGゲームで、「ここは〇〇の村です」などと話したり、ちょっとした情報を教えてくれたり、あるいは攻略に関係のない個人的な話をしたりするNPCはたくさんいます。多くの場合、名前がついていないか、または覚えられることのないまま通り過ぎていく存在です。

 もちろん現実世界においては、それぞれの人の人生というものが確固として存在していますし、例えば「家族や友人と過ごす時間そのものが有意義だから、ネット社会では村人でいい」といった発想も悪いことではないと思います。実際、アメリカの億万長者の多くは、そういう時間を最も大切にしていることが統計で分かっているそうです。ただ、そういうことに真の幸福を得ている人は、そもそもネット上で村人的な行為をする必要性を感じていないと思いますが。

 とはいえ、もしも経済的自由を目指すとしたら、何らかの活動を行わないことには何も始まらないのも確かな事実です。前の記事でも触れましたが、日本という国では「真面目に生きる」というステレオタイプをなぞった生き方をすると「お金の奴隷」としてずっと時間を切り売りしていく人生から逃れることはできないからです。

 他に、「仕事そのものが好きでしょうがない」状態を作るのも選択肢。これまたアメリカの億万長者の多くがこういった思考をしているようです。ただし日本とは環境が大きく異なる国だし、そもそも彼らは起業するなどして成功しつつそういった思想をしているわけで、「ただ働くだけ」で自由を得られる可能性は低いことも改めて忘れずに。

 

1.ひたすら労働や投資で稼いでいき、経済的自由へまっすぐ突き進む
2.趣味を交えた副業を目指し、経済的自由をマイルドに目指す
3.平穏な日々を享受し、その代わり労働し続ける生活を甘受する

どのような道を取るのも自由だと思います。

 

存在証明の必要性
 ネット社会を利用して活動を行う場合、重要になることの1つが「発信する」ことです。コンテンツそのものの説明文を工夫するのもそうですし、SNS等で発信したり、複数のコミュニティで共有したり、「存在すること」を示していくことで、人の目に触れる機会を増やす、というわけです。ブログでも、検索に引っ掛かりやすくするSEOなどという概念があるそうですね。

 人気のあるユーチューバーでも、他人と比べて極端に優れた知識や技術があるわけではない人が多く存在すると思います。つまりそういう人は「個性を出しつつ」「発信の仕方も工夫しつつ」「やってみた」を繰り返すことで人気を出してきたのだと思います。

 ただしこのとき、他人に対して「媚を売る」(良い表現ではないですが失礼)ことでかりそめの注目を浴びようとする人も良くいます。たとえばツイッターで無作為にたくさんの人をフォローしまくって少しでもフォロワーを稼ごうとしたり、音楽投稿で相互に「いいね」を付与しあう八百長の関係をたくさん築いたり。

 これはこれで1つのやり方ではあるのかもしれませんが、利のみを以て得た関係性は利が途絶えるとあっさり切れるものです。つまり相手へ永久にリソースを割いていく必要がある「承認欲求の奴隷」へ堕ちてしまう危険性が極めて高いと思います。時間にゆとりがあって特に苦でもないならそれはそれで自由ですし、見た目の数字で承認欲求を稼ぐこと自体を目的とするならそれを止めはしませんが。この手の人で「フォロバされなかったらすぐリムる」タイプの人がいますが、果たして当人が少しでも満足できる結果が得られているかは疑問に思えます。

 要するに、セルフプロデュースが必要な時代と言えます。

 

自前のフィールドを持つことの重要性
 そこで、前回の記事における「私がワードプレスブログを始めた理由」につながります。例えば私は10年くらい前に、SNSでボカロの弾き語りの先鞭をつけ、その他さまざまな曲をアップしまくったり、その後アラド戦記ではやり込み系のプレイヤーとして活動しつつブログを書き続けたり、と活動を行ってきたものの、それはあくまで個々のプラットフォームに依存したものであったわけです。その媒体自体が廃れると何も残らない。ブログに関してもアメーバというコンテンツに依存しているため、いつ何時サービス終了するかもわからない、というのは一応の事実です。まあ、このころの活動は特に何かを目指すというより完全に趣味であったこともまた確かですが。

 そこで、自分専用のサーバーを有料で借り、自分だけのブログを作り上げ、そこを活動の1つの土台とする、つまり自分のフィールドを作るということを1つの転換期としていこうと考えたわけです。多彩な媒体についてその時々の発信をしていくことで人の目に触れ、その結果もしかしたらともに活動できるような人との出会いもありえるかもしれません。新たなビジネスのきっかけも生まれるかもしれません。もちろんそういった可能性は高いとは言えませんが、何もしなければ一生変わらないという事実だけは100%確かな事実なのです。もしチャンスが転がったいたときに拾える準備をしておくことは、悪いことではありません。ゼロを何億倍しても、イチにはならないですからね、

 

趣味の延長でできる超ローリスクな活動
 しかも、こういった活動は投資と比べてリスクも非常に低いので、成功しなくても痛手ではないのです。趣味を以て活動しつつ副業を目指したい人にとって、サーバーを借りたブログの運営やYOUTUBEでの動画の配信などは入り口として適した媒体であると思います。私の場合は、動画より文章のほうが適しているのでこちらを選んだ(そもそも趣味として行っていたし)というにすぎません。

 例えば私は、趣味でいえばブログの執筆やギターの演奏やゲームプレイなどを長く続けていますし、仕事でいえば教材制作などにおけるライターとしての経験、広告や出版物などにおける校正者としての経験などがあります。フラッシュ動画を利用したデジタル教材の原稿、動画指示などの編集に携わったことなどもあったりします。こうした経験や技術を生かして何らかの成果を生み出していければ良いし、その中で他人にとって役に立つコンテンツを提供していければ良いと考えているわけです。

 

1.現在は、誰もが手軽に活動できる「人類総主人公社会」
2.だからこそ、うまく発信しないければ人の目に触れない
3.自前の環境を持つことで、可能性を0から1にする
4.自分の「できること」と「個性」を生かしていく
5.要はセルフプロデュースが必要な時代

労働や投資ではない、「好きなこと」で活動していくための発想です。

 

※ところで、私がかつて行っていたボカロを含めた弾き語り活動に際して、当時は楽譜など当然ないし、コードウィキもまだ流行っていない時代でした。つまり完全オリジナルのコード譜を100曲単位で作成、所持していたわけです。もし当時、今のようにネット上でのコンテンツ展開が一般化していれば…と思うと、勿体無いと思いつつも、時代に合ったプラットフォームというものの重要性など色々思うところがあります。今でしたらnoteで有料コンテンツを売る、などといったことも手軽に行えますしね。そういう意味でもネット上で副業を行うのに良い時代になっていると思います。


 コンテンツの提供において、一般大衆の時代の風潮に合わせるか、自分のとがったところをそのまま突き詰めていくかは芸能人も色々考えるところがあるようです。こうした思考については大物2人の思想を記した以下の本が興味深く、強く共感できる内容が多かったです。

 

 文中で述べた億万長者の生態については以下の本で詳しく語られています。アメリカは日本と比べてハイリスクハイリターン社会といえるので、日本人には当てはまらない内容もありますが、基本的な生き方の思考として参考になるのではないかと思います。資産がしっかりした億万長者ほど、意外と地味な生活をしているものらしいですね。