【ゲームレビュー】ペルソナ5 ザ・ロイヤル(後編:クリア後の所感)

投稿日 2023年2月4日 最終更新日 2023年2月4日


 約100時間でエンディングまでたどり着きました。そこで、クリア後の大雑把な感想を軽くまとめた後で、直接的なネタバレは極力省きつつ、具体的な内容を踏まえた上での所感もまとめておこうと思います。前編は下記より。

【ゲームレビュー】ペルソナ5 ザ・ロイヤル(前編:シナリオ途中の雑感と評価)


クリア後の雑感
 何とかかんとか、主人公にかけられた理不尽な人生デバフの数々は解消され、新たな未来への一歩を踏み出すことができた。そういう印象のエンディングですね。一応「ややハッピーエンド」と呼べるのかな、という感じ。

 ただし、あれだけ悲惨な目に遭い続けていたのに結局ご褒美が何もないのは修羅の人生だなと思うフシはなくもないですが活動の中で培った経験や怪盗団を含めたコープの人間関係が今後の人生に活かされる、と考えるのが良いのかな

 いずれにせよ、バッドを除くいずれかのエンディングを見るまでプレイして、初めてストーリーを本当に楽しめる作品だと思います。複雑な点もなくはないですが、何とか収束はできたと思うので。グッドエンドしか見ていないけど、他を見に行くのは疲れそうだし一旦断念。

 各登場人物のコープのストーリーも非常に良いし、全体を渡って深く考えてみるのが面白い題材も多く、さらにちょっとした雑学が入ってくる要素も多いというわけで、ストーリー重視のプレイヤーにとっては良作になるのではないかと思います。結末などを批判的に見るにしても良い題材ですからね。

 人々の認知をディープな題材にしたゲームが、何年も前にリリースされていたのはなかなかに興味深いのもあります。近年のブームみたいな概念でもありますからね。ヒトは必ずしもあるものをあるがままに見ていないのは現実世界でも同じ。

 なお、戦闘に関しては特典なしでも最強ペルソナが作れるレベルに到達し、ものっすごく大味になりましたがそれもまあ良いかなという感じで流しました。メインはストーリーだし。仲間も全体バフorデバフを覚えて一気に戦闘がスムーズに。

※以下、直接的なネタバレは極力回避しつつも内容の根幹を踏まえたお話になります。

 

 

 

 

 

 

12月ストーリー
 主人公が「囚人」になるきっかけを与えた大悪人の改心。その成功によりようやく全て一段落するかと思いきや…とんでもないどんでん返しがやってきました。

 前編の記事で長めに取り上げた「大衆という名のモンスター」という概念がまさかここにきてクローズアップされるとは思いませんでしたが、何にせよストーリーの根本的な問題がいきなり露出した事件が年末の流れ。

 しかし、これまでの悪人を含む登場人物たちの行動がもし「12月のラスボス」の影響を受けていたのだとすると、主人公たちのそれまでのプロセス自体が作り物でしかないという矛盾を抱えることになってしまうのが何とも言えないところ。

 トリックスターとして選ばれし人間であるとはいえ、ただの一般人が一方的に理不尽な境遇を「作為的に」課されたのだとしたら、普通の神経をしてたら「たまったもんじゃない」と思うでしょうね。

 そういったモヤモヤ気分を抱えながら世界を救ったのが12月でした。これどうやって収拾つけるんだろう、と。もちろん、最終的には理不尽を行動で打ち破る動きを見せてくれてグッドな結末に向かうのですけどね。その前に3学期のパレスに突入してしまったので、パレス攻略中まではイマイチ釈然としなかったのが事実。このゲーム、答え合わせまでが長い長い。

 

3学期ストーリー
 キーワードは「水槽の脳」といったところでしょうか。真実がどのような状態であっても、認知しているものを現実と見なす。そういう側面が人間には存在します。人は自分が認知している物事のみを視認することができる(そして脳が処理できる容量には上限がある)ので、常に人の認知世界には「見ようとしていないために見えていない部分」がたくさんあります。過去の雑記でも、例えば下記記事などで似たような話題に触れています。

雑記:引き寄せるっていう言い方はあんまり良くないと思います

 つまり極端な話、今われわれは確かに3次元世界で“生きている”はずですが、その真実が水槽の中で装置につながれて培養されている“脳だけ”の状態である可能性を完全に否定することはできない、という観点です。
※現実世界が「水槽の脳」だと言っているわけではなく、人々の認知にはそれに類似した性質が存在するという話です。認知っていうとまさにP5全体のテーマでもありますね。

 3学期のパレスの主が創り出した世界はその発想を元にしたような「理想という名の幻想」なわけで、「本人にとっての幸福を感じられる」なら、仮に本当のことでなかったとしてもそれが一番ではないかという発想

 正直この発想自体は否定できないんですよね。「優しい嘘」という言葉もあるように、人々が真実だけを受け入れて生きていくことは最もつらい生き方になるリスクが高い。なので、誰もが幻を生きていくことができる世界が本当に成立し続けるなら、それを享受することを他人が否定する権利があるとは言い難い。

 ですが、さながら覚せい剤のように「幻覚を見続けて満足する人生」を主体的に選択できる状態になったとき、ヒトはそれを受け入れることができるのか。そうなると話は変わってくると思います。これも認知している範囲の広さによる見解の相違になりそう。

 それこそ怪盗団の面々のベクトルは「反逆者」であるため、自分で選び取れない人生を肯定する方へ向かわないのが自然なことですしね。現実世界の個人であっても、「何者かから与えられる幻覚」を主体的に受け入れるかどうかは人それぞれの範疇でしょう

 まあ、怪盗団が1年もの間、生死をかけて戦い抜くことによって得られたものが「理不尽な現実を経た世界の肯定」であるのは皮肉な事でもありますが(苦労して苦労を得ることになった結果を「徒労」であると考える視点もありますから)。

 しかし彼らは「過去そのものをなかったことにする」ことを否定したわけです。「すべてを知っている」からこそ選べる選択肢だったのかなという感覚は大きいかもしれませんが、「これまでやってきたこと」、特に怪盗団として成し遂げてきたことが逆に空虚なものに堕してしまうのは耐えがたいものであるという感覚はある程度共感できるところではないかな。

 実際にはこの3次元世界で「死ぬまで幻を見続ける」現実的な方法はほぼ皆無に等しいので、タラレバの話になることは否定しませんが、1つの思考実験としては深いものがある題材です。小さな認知のオンオフに関しては実際に意識することも可能ではありますし。


 というわけで、個人的にはなかなかタイムリーなテーマを内包した良作であったと思います。不満な点もありましたが、ストーリーを最後まで見たことそのものには価値があったことは間違いありませんでした。