雑記:経済的自由を目指すために

投稿日 2021年1月13日 最終更新日 2021年1月13日

経済的自由
端的にいうと「労働に縛られない生活」のこと。
不労所得、または趣味の収入の範囲内を生活費とすることで、
限りある時間を有意義なものとすることができるという考え方です。

 バブル崩壊以降の日本は残念ながら、身を粉にして働けば報われる社会とは言いがたいのが現実。無賃残業や過重労働で苦しみながらも賃金は安い、というのはもはやありふれた現実なわけで、これは労働者である限りほとんどの人が逃れられない無情な牢獄でもあります。

 もちろん、ごくごく一部の例外ももちろんいます。しかしそれは才能×縁×運×努力の乗算をオーバーフローさせられた奇特なパターンで、本人の力だけではどうにもならないわけです。才能や努力はともかく、縁や運(環境ともいえる)のような外的要因が1つでもゼロまたはマイナスだと成立しないのだから難しい

 また、稼ぎだけ良くても浪費が酷く、収入が減って破産した話など、芸能人にも枚挙にいとまがないですよね。ただ稼げば良いというものでもないわけ。資本主義の世界でお金の自由を勝ち取るのは、自分が働くだけでは大抵の場合困難なのです。

 というのも、日本という国がある種の衆愚政治を突き詰めているので、まっとうに義務教育を受け、まじめに就職活動を行い、勤勉な労働者として働くだけでは大いに損をするシステムになっているからです。ここ数年色々な話を見聞きした限り、日本の学校教育とは壮大な洗脳工作であるとつくづく感じさせられました。性善説によるシステム解釈の刷り込みもそうですが、「教えないこと」の取捨選択がすごい。

 


 その辺りのシステムのからくりについては、リベラルアーツ大学で色々詳しく説明してくれているので、興味があれば見てみると良いと思います。

 

 

資本主義のトラップとそこからの脱却
 資本主義社会では、お金を働かせる一握りの人が圧倒的自由を勝ち取り、お金の奴隷となる多数の労働者を支配する構図が一般的なわけで、その軛(くびき)から逃れるには、自分が投資なり趣味なり、個人事業なりで収入を得て、「働かされる」ことに収入の全てを依存することから脱却する以外の方法はないわけです。

 つまりは自分が事業主、資本家になることが必要、というとなかなか面倒に思えると思いますが、超々小規模でも個人事業主を名乗ることができれば、それだけで税金をかなり削減できるという罠のようなシステム(もちろん、サラリーマンだけに安住することが罠)だったりします。その辺はリベ大でも詳しく説明されています。

 

 まあ、ありていにいうと、好きなことをして生きているだけで勝手にお金が入ってくるシステムが欲しいよね!って話。

 

 即物的な話だけでいくと、余剰資金を増やして株式やら投資信託やら不動産やらに投資して不労所得〜ってのが一番みたいですが、先立つものが必要なわけで。節約やら収入増やら、副業やフリーランスやらを考えていくのが手段になるわけです。

 私は去年の夏の段階でインデックス投資を始めようとしたのですが、妙な障害(今にしてもなぜあの時期だけエラーが出たのかわからない)が発生し、解決するにも多忙(結局いつのまにか直っていた)でやっと近々始められそうな感じ。時期的にはよろしくない(暴落からの高騰を経ているので)ですが、インデックス自体が超長期を見越した投資である以上、まあこれからでもしょうがないかな、といったところです。

 素人感覚(投資も博打も)ですが、インデックスというのはある種、競馬で全部の馬に賭ければ負けない発想、に似たニュアンスで考えれば良いと思います。市場全体の株式に対してTOPIXだの何だのといった指標をもとに、人の判断が一切かかわらずに指標だけでバランスをとって株式を売買してくれる投信です。賭け事の場合は倍率の問題で成立しないやり方ですが、投資の場合は経済そのものが成長し続けるのでトータルでは利益が出る可能性が高い、というわけです。もちろん対象とする指標を間違えたら損しかしないわけですが、米国株世界株をトータルで見た指標が主に無難とされています。米国は今微妙な時期ですけどね。

 

現在も大事にしつつ自由を目指す
 ただまあ、お堅いことばかり考えてもあんまり面白みに欠ける(今を何もかもを我慢して未来を買い取るようじゃあんまり意味がない)ってのもあるので、趣味を武器にする、というのもまた選択肢の一つだといえるわけです。

 そういう「趣味から延長できる何かがあれば良いな」という考えで、私はこのブログをアメブロの完全趣味状態から移転してきたところがあります。カネのことを考えるなら完全アフィ目当ての商品ブログでも新しくやるのが鉄板ですが、それはあんまり性に合わなそう。

 例え完全な自由とはいかなくても、働くこともまた趣味みたいな軽い労働は続けるのも悪いことではありませんしね。労働者の収入は守りには強い。過重ではない労働はありといえばあり(日本のフルタイムがそもそも過重かつ非効率なんですが、その辺り今の会社は時短などの都合がつけやすいかもしれないってのもあります)。

 なので、ブログ自体で稼ぐというよりかは(そもそも有料に移行した分赤字ですが)、完全に自分のものであるフィールドを作って、色々なつながりの可能性を生み出していこう、というイメージといえば良いかも。

 それってどういうこと?っていう説明が必要になってくるわけで、本当はここからの話が本題の予感だったのですが、土台を説明するだけでかなりの長文になってしまった。続きはまた稿を改めます。