ブレダン実録:脳のデータの拡張子

 今回は、個人個人の個性について昔から思ってきたことを言語化してみます。

※ブレダン実録に関しての注意点:通常の記事とは違い「誰かに発信すること」「何かを主張することを目的とした文章ではありません。あくまで自然発生的な思考の一例として見てください。また、ターゲットを持たない思考そのままの文章であるため「文章の内容の本質が伝わる可能性」も担保していません。分かりにくくても当然でありかつ、分からないものに触れてみるのも一興とした企画です。

ブレインダンピングについては下記の記事で述べています。

雑記:ブレインダンピング~思考を言語化することの重要性~


会話とチャット
 ヒトの脳のデータにはある種の拡張子がある。そしてそれは大雑把に「文字情報」をデータとする人と「音声情報」をデータにする人に大別されると思っています。

 私の脳は圧倒的に文字情報に偏っています。なので記憶ではなく記録のみ残っているというのが正確に近い。

 だから思考を言語化する時も、文字なら簡単だけど音声は難しい。つまりチャットなどの文章なら「考えつつあることを同時に入力できる」けど、音声情報として「考えながら話す」ことが限りなく不可能に近い。

 何も話せないということは無いけれど、話している間は脳の思考機能そのものはほとんど稼働していないといえます。既存の思考結果の中から断片を引っ張り出しているようなもの。

 なので対面の会話を行った後は大抵「ああ本来話すべきだった内容がほぼ話せていないなー」とか、下手をすれば「本来思っていたことと全く違うことを話たことに後になって気づく」状態になってしまう。得手不得手という以前の問題として、リアルタイムでは思考情報が引き出せない。なので極力文章でのやり取りで大事なことは済ませるようにしています。

 

思考や知識はデータである
 私が会話において「聞き上手、他人の話題に乗るのは上手」だけど「話題を振るのは下手」なのは能力的なものもありますが、こういった「思考と音声の互換性のなさ」も1つの要因であると思っています。

 元データがdocxなので、それをどうにかしてmp3にしなければならない。しかしエンコードしながら再生するには膨大なメモリ容量がいる。ヒトの脳ではそれは困難である。なので再生と変換はそれぞれ別のタイミングで行わなければならない。

 

 一方、会話は上手いし無限に言葉が出てくるけど、文章は苦手、何なら文字すらあまり読み書きできないという人もいます。日本の学校教育を受けていてもです。

 何が良くて何が悪いではなく、それぞれの人間ごとに異なる設計で出来上がっていること、そしてそれを認めたり受け入れたりすることが重要であると言えます。

 こうした脳内データの拡張子の違いに関して、何らかの科学的発表などを見たことがあるわけではありませんが、私の私見として、何かしらそういった概念が「確かに存在している」と確信しています。