ブレダン実録:時間の断捨離

 新コーナー「ブレダン実録」では、私が実際に行ったブレインダンピングの内容を公開していこうという謎の取り組みを行ってみます。9文字は長すぎるので適当に略しましたが、ブレダンという表記が巷で使われているかどうかは全く知りません。

 前回の記事でも取り上げたように、ブレインダンピングとは「言いたいことを他人に理解されるかどうか」を度外視してひたすら思考を文章化していく行為なので、「何言ってるかわからない」かもしれません。しかし、意味不明な思想に触れてみるのもそれはそれで一興です。

 ただ、今回の内容は多分、いつものブログ内容と大した差はないのでわかり易い方です。

 もちろん、一般的なブレダンとは異なり、文章自体は通常の記事同様に整えておくので、完全に純粋なそれというわけではありませんけどね。ご自身で行う場合は、言語表現すら他人に理解されにくいワードを使っても何ら問題ないと思います。自分さえわかれば

雑記:ブレインダンピング~思考を言語化することの重要性~


時間という資源
 時間とはもともと、やりたいこと全てを行おうとすると「足りない前提」のリソースであり、そのなかで優先順位の高い物事から順番に消費していくことが求められる、全人類に平等な分配資源といえます。

 暇な人、忙しい人、仕事が多い人、趣味が多い人などさまざまなタイプの人間がいますが、太陽暦基準にして1日24時間、1年が365日(4年に1回366日)という法則は全人類共通です。

 お金がある人は業者などの他人にサービスを依頼することで「時間を買う」ことができます。逆にお金がない人は「時間を売る」ことで生活資源を確保することができます。人々の多くは「時間と労力を売る」ことによって生計を立てています。

 個人がいろいろな仕事や取り組み、活動(休養や娯楽すらそれに含まれる)を拡大していくと、当然のごとく以前よりも時間は足りなくなっていきます。

 

 

時間の断捨離
 それに対して行える対策が定期的な「時間の断捨離」。当たり前に行ってきた習慣すべてを見直します。普段行っている1つ1つのタスクに対して「今の自分に必要か」を問い直して不要なものを省くというプロセスです。

時間の断捨離については、過去記事でも取り上げています。

雑記:イベント効果に騙されるな

 私のブログやツイッターを継続的に見ている人は、アラド戦記などのゲームにおいても「やらなくても良い日課を切る」などの時間整理を定期的に行っていることはお判りでしょう。

 特にToSの記事では定期的に「今の日課はコレ」という内容を示してきました。あのゲームは不要な日課を無限に積み上げようとさせる、マトリョーシカのようなシステムをしていますからね。旧キャップのコンテンツを永遠に消化させようとする謎の根性は見上げたものです。

 

 「暇だからやってみる」と同じ思考が「安いからとりあえず買ってみる」です。「気になっていたものが安いから買ってみる」とか、「面白そうだからちょっと時間あるしやってみる」なら有益ですが、「安くないとそもそもほしくなかった」、「暇じゃなかったらやろうと思わなかった」ことに割くお金や時間が果たして本当に必要なのか、無駄遣いすることが却ってマイナスに働くことは無いのか、よくよく考えてみる必要があります

お金の場合の例は下記の記事にまとめてあります。

雑記:“価値”と“価格”~必要な消費を見極める

 時間もお金も、ともに資源であることを弁えて上手く使っていきたいですね。

 

 

一度全部捨ててみる「大掃除」
 時間の断捨離を定期的に行っていても、年月が経つにつれて細かい塵のように溜まっていくのが「実は必要ではなくなっている習慣」といえます。

 そのため、私は2022年4月が来るこのタイミングで一度、すべてを捨てたゼロベースの視点に立ち返ってタスクを組みなおすことをしてみようと思います。

 オンラインゲームに関しては「アラドのみ短時間」と相当削ってしまっているのでほとんど変わらないと思いますが(ToSにアプデが来ているらしいので話のタネに少しだけ触ってみるかも)、その他さまざまな取り組みや活動を行うようになっているので、そちらの厳選がメインになると思います。

 一度全部やめてみる。そして改めて「これは絶対やりたい」「これは絶対自分にとって必要」というものから始め直してみるプロセスです。

 もちろん仕事は辞めるわけにはいかないし、他人や社会との関係上必須なタスクもあると思うので、そこだけは妥協します。

 しかし、他の取り組み、たとえば何年も続けてきたブログ活動であっても、一度「更新するのが当たり前」「有益なネタが見つかればとりあえず書く」という思考を撤廃して、「これは是非書きたいと直感がはたらく」場合のみ行動してみる。そういったスタンスから始め直しててみようと思います。

※アラド戦記に関しては現在停滞期なので、もし記事をまとめるとしても日記やコメント企画、または実装が何か月も先になる韓国情報になるため、更新頻度が下がるのは元から織り込み済みですけどね。

 

 

“やりたい”のか“やらされている”のか
 私は2年ほど前から、「暇だからとりあえずやっておく」という発想を意識的に捨てるようになりました。スマホのソーシャルゲームも、無課金プレイ可能だろうが時間が余っていようが手を出していません。

 私の場合、元から暇という発想をしないのはありますが、それでも「ダメ元だけど一応時間を割いてみよう」とか、「スマホが暇しているからオートのソシャゲを一応進めておこう」といった無駄な動きは存在していました。もちろん「ダメ元だけどうまく行けば良いことがあるかもしれない」という発想でチャレンジしてみることは大切ですが、前述のようなものはそんな可能性すらほぼ0に近いし、うまく行くってなに? っていうレベルのしょうもないことなので省いた形です。

 時間を作ってでもやりたい。そういうことのみを習慣にしていく。そういうスタンスでスケジュールを整理していくと、色々見えてくるものがあります。お金の使い方だってそうですね。

 

 私の場合、まだまだお金の使い方に関しては「思ったような商品ではなかった」「使ってみたら対応していなかった」「期待していた価格で手に入らなかった」「買ったゲームをやる暇がない」などのロスが出てしまっていますが、時間の使い方に関しては相当上手くなってきたと思っています。

 とはいえ、それも継続してくると「本当にやりたいorやる必要がある」なのか、「そう思い込んでしまっている」なのかの境界線があいまいになってきます

 そこで、「続けることに意義がある」「何年も続けてきた」ブログですら一度見直すほどの、脳内の大掃除を行ってみるというわけです。

 何かを手放さないと新しいものを受け取るきっかけが来ないというのはどうやら常識化しているレベルの真理らしいですし、「時間の余裕」を手に入れることによって、何か面白いことが起きれば良いなと思いながら整理整理。