歴史と現代の交差点:糟糠の妻は堂より下さず

歴史上の人物や出来事を現代に結びつけて考えてみるコーナー。
第1回のテーマは「糟糠の妻」。


「糟糠の妻」の故事
 この言葉はもともと故事成語です。時代は紀元前1世紀、中国の後漢王朝初期。後漢の成立に関連する内容について、過去の歴史雑記で少し書いているので気になる方はそちらも。要は暴政を行う王朝に対する反乱軍に参加したものの、その反乱軍が樹立した王朝も支離滅裂だったために結果的に独立することになった感じです。

 さて、色々ありましたが後漢の初代皇帝・劉秀(光武帝)は数多いる群雄を打ち平らげて天下を統一しました。ある日、自分の姉が夫を亡くしていることを気にして再婚相手が見つからないかと考え、それとなく話をしました。すると姉は大臣である宋弘のことを気に入っているらしい。しかし宋弘にはすでに妻がいます。そこで姉を屏風の裏に隠れさせておいて、宋弘を呼び出してこう言いました。「地位が上がると付き合う相手を変えるし、財産が増えると妻を変えるというのが人情だろう」と。それに対して宋弘はこう答えます。「貧賤の交わりは忘るべからず、糟糠の妻は堂より下さず」と。

 「貧しかったころの友を忘れてはならないし、苦労を共にした妻を追い出すなんてことはしないものです」というニュアンスです。これを聞いた光武帝は、諦め顔で姉の方を向くしかありませんでした。ここから、貧しいころから苦労を共にした妻のことを「糟糠の妻」というようになりました。糟糠とは酒かすや米ぬかのことで、そういったものを食べるほど貧しかった、という意味合いです。

 

政略結婚の行方ー光武帝・劉秀の場合
 先ほどのエピソードでは、劉秀は宋弘に対してある意味心ない要求をしていますが、実は彼自身も似たような苦労をしています。彼には陰麗華という妻がいました(たいへん美人だったそうです)。しかし彼がまだ更始帝という皇帝の臣下として河北を平定していたころ、真定王として実力を振るっていた劉楊りゅうようを傘下に引き入れようとします。どうやらその過程における政治的判断の中で、劉楊の姪である郭聖通を劉秀がめとるという選択が必要になったようで、劉秀は郭聖通を妻とすることになります。

 後に皇帝に即位した劉秀は陰麗華を皇后にしたかったようですが、最終的には郭聖通が息子を生んでいたこともあり、彼女を皇后として立てることになります。ちなみに同年、劉楊は謀反の疑いで殺害されてしまいます(劉楊の息子がその地位を引き継いだ)。さて、その後結局、劉秀と郭聖通の仲はうまくいかず、皇后を廃することとなります。そして陰麗華がようやく皇后になる、といういきさつがあったのです。陰皇后は身内をコネで出世させたりするようなことは行わずむしろ抑止するなど、賢くつつましい人柄であったようです。

 

現代の例ー著名人の場合
 現代について考えるとき、真っ先に思い浮かぶのが芸能人ではないでしょうか。芸能人のかかわる結婚、離婚の事例は枚挙にいとまがないほど頻繁に報道されるニュースであると思います。(具体例を挙げると繊細な話になってしまうのでしません)。だからこそ、長年仲良く連れ添うと「おしどり夫婦」と呼ばれたりします。政略結婚というわけではないですが、「地位が上がると付き合う相手を変えるし、財産が増えると妻を変えるというのが人情だろう」の言葉どおり、その場その場の環境に左右される関係になりやすいことは共通点と考えても良いのではないでしょうか。もちろんその生活スタイルにおいてわがままさがぶつかりやすいから、という極めて直接的な理由も大きいでしょうけど。

 また、経済的な成功者と結婚してその財産を食いつぶす配偶者、という構図もちらほら見受けられます。このパターンはまた金の切れ目が縁の切れ目にもなりがちで、これも地位と環境に依存した関係性の一例といえそうです。

 

ビジネスパートナー的関係ー現代の億万長者の場合

 さて、今度はこちらの本に再登場してもらいましょう。先ほどはあまりよろしくない例を挙げましたが、今度は成功者の例を挙げてみます。統計上、アメリカの億万長者たちにはどのような傾向があるのでしょうか。

億万長者夫婦の特徴その1
1.全米の億万長者の92%が既婚者
2.その離婚率は、億万長者でない人の3分の1以下
3.その夫婦の多くは、資産形成につながる共通の関心事を持つ
4.彼らの結婚の年数と純資産額には顕著な正比例の関係がみられる
5.彼らの結婚年数は平均28年。さらに全体の4分の1は38年以上

 どうやら現代の成功者の多くは、苦楽を共にできる配偶者を見抜くことに長けている場合が多いようです。また、彼らが配偶者を選ぶときに特に重要視したのは以下の5つのようです。

正直であること
責任感があること
情愛豊かであること
有能であること
協力的であること

これは男女問わず共通しているらしい。なお、相手が裕福であることを理由にした結婚はたいていうまくいかないという統計も出ているそうな。

 つまり、現代の経済的成功者たちは、「糟糠の妻」的な配偶者とともに事業を発展させ、生涯のビジネスパートナーとしての関係性を重要なものとしているようです。一般人の感覚とはかなり違っているように感じられますが、だからこそ成功するのでしょうね。もっといえば、思いやりのある相手を選んだうえで、自分も思いやりを提供するWin-Winの関係性(片方が欠けてはいけない)が必要ということでしょう、

 

苦労しか共にできない関係ー越王勾践の場合
 苦楽を共にする、という概念は何も夫婦に限らないと思います。そこで古代中国史における君主と臣下の主従関係の中で、興味深い例を挙げたいと思います。


 越王勾践こうせんは春秋時代後期の越の国王で、父である允常いんじょうの後を継いだ君主です。当時の呉と越は不倶戴天の仇敵というか、地政学的にそもそも争わざるを得ない位置関係にあることから(越が勢力拡大するには呉を倒すしかないし、呉も勢力拡大を図る中で背後の越を気にせざるを得ないなど)、戦争を繰り返していました。

 そのため越の君主交代は呉から見ると隙となり、允常の死を聞いた呉王闔閭こうりょは越へ攻め込みます。しかし、允常の代より越に仕えていた重臣・范蠡はんれいによる奇策のため越は大勝(欈李すいりの戦い)。呉王闔閭はこのときの傷がもとで死去します。

余談:欈李の戦いにおける范蠡の奇策
越の罪人が三列に並んで呉軍の前に進み、自身の首筋に剣を当てます。そしてわれらは軍令を犯し、君の面前で不行届をいたしました。刑罰は覚悟の上、ここで死んでご覧に入れる
と言ったとたん、彼らはみな自分の首をねてしまいました。呉軍がこれに気を取られているうちに越軍は奇襲をかけ、呉の本陣まで壊滅するほどの大勝利を挙げたのです。

 その後、呉の後継者である呉王夫差は復讐を誓い(臥薪嘗胆の故事の前半)、富国強兵を図ったのち越を圧倒。会稽山に追い詰めた勾践を降伏させます。その後勾践は、夫差の召使いとして働かされるなどの屈辱を味わいましたが。しかしその献身的な働きと、越の家臣たちによる呉への買収工作が功を奏して、やっと国へ帰ることができます。越は呉の属国としての存続が許されたのでした。勾践はこの屈辱を忘れませんでした(臥薪嘗胆の後半)。

 呉王夫差は覇者たらんとして中原へ進出。その間、越は范蠡や大夫しょう(文種)という重臣たちの主導もあり、ひたすら国力の増強に努めました。そして呉の主力軍が中原から帰ってこれない間を狙って挙兵、呉の太子を斬り、国都を壊滅寸前まで追いやる勝利を得ます。このときはそれで済みますが、最終的に数年後に呉は越を滅ぼします(呉越の戦いは他にもドラマチックな話が多々ありますが割愛)。その後越は中原に進出、諸侯会同で覇者の座に就くこととなります。

 その後、功成り名を遂げた范蠡は急に権力を捨て、越から去ってしまいます(なお、その後商人となり大成功します)。そして大夫種に送った手紙でこう言います。「狡兎こうと死して走狗そうくられ、高鳥尽きて良弓かくといいます。越王の容貌は首が長くて口がくちばしのようにとがっています。こういう人相の人は苦難を共にできても、歓楽はともにできないのです。どうしてあなたは越から去らないのですか」と。

 前半の意味は「ずるがしこいうさぎが死ねば猟犬は煮て食べられるし、飛ぶ鳥がいなければ良い弓もしまわれてしまう」という意味合いです。大夫種はこの手紙を受けたものの迷い、とりあえず病気ということで出仕を控えました。しかし中途半端な出処進退がかえって誤解を招き、讒言を受けて自殺を命じられてしまいました。

 苦難を共に乗り越えた家臣を、天下統一などの大願成就の後に処刑することになる例は多々あります。これには有能すぎて自分の立場を脅かす恐れのある家臣へ君主が抱く猜疑心も当然ありますが、それだけとは言えない含蓄を含んでいると思います。

 「地位が上がると付き合う相手を変えるし、財産が増えると妻を変えるというのが人情だろう」という概念もあてはまるかもしれません。例えば、「この相手は自分のもっとも弱い部分を知っている」ということへの嫌悪感、「あのときの苦労など思い出したくもない」という黒歴史感などが考えられることかもしれません。いずれにせよ人間の深層心理の在り方の1つを象徴していると思います。時代を問わず、成功者と「苦楽(つまり、苦労も歓楽も)を共にする」ということは大変難しいことのようです。


 以上、「糟糠の妻」を題材にして、様々なパターンのパートナーの在り方についてみてきました。結局のところ、「相手を見抜く力」と「自分自身の能力や心がけ」の両面があって初めて良好な関係性が築ける、というのはあらゆる人間関係に通じるところではないかと思います。

 本来はこのコーナー、歴史と現代の政治などを見比べるために考えていたカテゴリだったのですが、何のはずみか初回はこのような題材となってしまいました。