歴史と現代の交差点:戦後から現代日本へ① 民主化政策の頓挫

教科書教育の刷り込みを疑う
 従来、日本の学校教育では、アメリカによる占領政策で民主化が進み、日本国憲法制定、財閥解体や農地改革などによって、戦前の日本とは別の国として(より良く)生まれ変わったような論調での教育が行われています。

 しかし、実際に現代を生きている人が改めて振り返ると、今の現実とあまりにかみ合っていないと思える出来事も多いのではないでしょうか。そもそも、元々敵国であったアメリカが、ただの善意で日本をより良い国にしてくれるという発想がいかにもお花畑的です。つまり、彼らの行った政策には必ず何らかのメリットが想定されていたと考えるのが自然なわけです。

 もちろん、建前的には民主化も非軍事化も至極真っ当であり、また現実問題、旧来のしがらみや軍国主義がある程度打破されたのも事実だとは思います。とはいえ、その裏にあるものを見抜いてこそ、そういった事実の功罪も適切に語れるようになるものだと思います。歴史を善悪で捉えてしまうと真実から遠ざかってしまいます。

 このブログでも学校教育にある種の思想誘導が行われているのではないかということは以前から述べてきましたが、その本質につながる戦後の占領統治における対立構造について、簡単にまとめてみます。

 

第二次大戦時のアメリカ
 まず前置きとして、当時の(当時だけではないけど)アメリカではリベラルとかウォール街の財界とか共産主義者とか、さまざまな思想や思惑を持った人々が徒党というか、派閥のようなものを組んで活動していたことを前提として挙げておきます。政府や軍ですらそういった活動や対立が露骨に表に出るのが、アメリカという国の複雑さといえます。

 つまり、教科書で「アメリカが~を行った」といっても、その活動の根源は国家としての統一意志ではなく、担当している組織の思惑であるとか、時には独断専行ですらありえるということです。

 

GHQによる統治
 総司令官をマッカーサーとする連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は教科書で名前だけは憶えている人も多いと思います。しかしまず、このGHQ自体が「米政府の意図を体現する出先組織」と言い切れるわけでもなかったうえに、内部での意志も統一されていませんでした。

民政局(Government Section:GS)
社会民主主義志向。
軍閥や財閥の解体、軍国主義の打破を中心とする
民主化政策を進めた。参謀第2部(G2)
参謀部内の1機構で保守派。

 まずこの対立構造が日本の将来に大きな影響を与えました。端的に言うと、初期はGSの意図する民主化政策が進められたのですが、次第に保守優勢の風潮が強まり、日本を「反共」つまり反共産主義の砦としようという動きが強まっていき、結果として既得権益の解体は極めて中途半端に終わったということです。建前としては冷戦のために方針転換されたわけです。

 そもそも財閥解体といっても、21世紀の現在ですら財閥と同じ名を冠する企業がしっかり残っているのが現実です。当たり前の疑問から目をそらし、「財閥は解体された」と教え込んできたのが日本の学校教育という点では、以前の記事でも述べたように意図的な刷り込みを感じざるを得ません。

財界という巨大勢力
 とはいえ、G2がGSとの権力闘争に勝利したという単純な構図ではありませんでした。米国ではウォール街における経済界の重鎮たちが非常に強固な影響力を持っており、例えば政府の国務省、国防総省、商務省のような中枢組織の幹部は、ほとんどウォール街のリーダーたちだったのが現実です。

 彼らは基本的に利権主義で、戦時中ですらも日本の財閥などとのコネクションを強固に持っていたため、既得権益を温存することが自己の利益につながりました。そして結果的に、彼らは保守派と利害を同じくするような形となりました。結果的に、というのが非常に重要です。反リベラルとしてのプロパガンダはあくまで表向きの理由に過ぎなかったのですから。

 ここで重要な役割を果たしたのがアメリカ対日協議会ACJ、アメリカ対日理事会)です。これはGHQが東京に設置した対日理事会とは全くの別物で、米国に存在した圧力団体です。ジェームズ・リー・カウフマンなどの人物が日本で活動したことにより、日本の民主化政策は骨抜きとなっていきました。

 

保守政策のプロパガンダ
 日本の民主化・非軍事化政策に逆行する一連の動きは、逆コースと呼ばれます。これらの政策を進める際に声高に叫ばれたのが、以下の2点です。

1.共産主義に対する防波堤として日本を役立てられる
2.日本を経済復興させれば米国からの援助を打ち切れる

 当時のアメリカをはじめとする西側諸国にとって、最大の敵はソ連を中心とする共産主義国家たちだったのは周知の事実だと思います。そこでウォール街勢力は、日本の既得権益を保護することではじめて日本の経済復興が進むとし、解体するのではなく、むしろ積極的に利用していこうと主張しました。

 また、日本の経済復興が進むことで、米国がわざわざ資金を投下する必要がなくなるという主張も、本国の政府や民衆に対して非常に説得力があります。日本の再軍備についても同じようなメリットを考えていたようですが、これだけは日本側が絶対に受け入れようとしませんでした。

 

民主化政策の落とし穴
 ただし、民主化・既得権益解体の政策が一方的に正しかったかというと、そうとは限りません。というのも、リベラル派は別に日本を発展させたくてこの政策を進めていたわけではなかったからです。むしろ経済的な発展を遂げさせず、貧乏で脅威にならない国に落とし込もうとしていたとも言われています。そうだとすれば、民主化政策が成就すれば日本はもっと良い国になっていた、とはっきりとは言えないわけです。

 また、GSの政策を援護していたマッカーサー本人も、実はもともと反共主義者でした。それなのにリベラルを擁護したのは単純に、米国大統領の地位を狙って意図的に人気取り政策を行っていたのではないかと言われたりしています。また、現役軍人は大統領になれないため、占領行政の任務をできるだけ早く済ませようとして熱心に民主化政策をおこなっていたのではないかともいわれます。

 もちろん人の心理について絶対的な解釈は到底できませんが、いずれにせよ、リベラルと保守の対立軸を善悪で取られることはできないということです。また、これだけによってマッカーサーの業績や逸話が全て偽物だったということも、もちろんないわけです。

 

逆コースの確定
 ウォール街勢力の反対運動を受けたマッカーサーは、いよいよムキになって財閥解体を急ごうとします。しかしながらアメリカ政府の国策ももはや保守に傾き、さらには共和党の大統領候補への出馬も失敗します。その結果、彼はアメリカや日本の国民と政治家の視線を顧みる必要がなくなったため、民主化政策への意欲を失っていきました。また本来は反共主義者だったのもあり、労働運動の弾圧などを積極的に行うようになっていきます。当然ながら米国の国策となった保守化の流れはより一層強まり、日本の占領行政は大きく方向を変えていくこととなりました。


 つまり、リベラルと保守それぞれの陣営にそれぞれの思惑はありつつも、最終的には財界のマネーのつながりが決定打となって日本の未来がスライドしたといえます。1記事ですべてを書くには分量が多すぎるようなので、続きは別記事で。