今回は、コメントでご提案頂いた「転売屋は悪ではない論への感想」についてまとめます。
まず大前提として、私は物事を論理的に考えるとき「善悪」という概念を基本的に放擲するものであるということは付記しておきます。下記リンクの記事ではそういった話題で雑記をまとめています。
転売不悪論の根拠
さて、転売屋が悪ではない論を主張する人の論拠を箇条書きでまとめてみます。
●すべての価格は需要と供給で決まる ⇒転売屋に市場を操作する力はない ●転売屋は品薄を作れない ⇒必ず品薄が先行する。 ●転売屋は在庫を抱えない ⇒値崩れを恐れるから買ったら即売りたい ●転売屋は出品しているだけ ⇒購入価格を決めているのは購入者 ⇒オープン価格品は小売店も吊り上げている。 ⇒メーカーの損失、機会損失は戦略不足による自業自得。 ●並ばないと買えない現状が狂っているだけ。 ●合法なものが多い。 ●転売屋が買った台数だけ買えた人がいる。 ⇒だから転売屋はいてもいなくても一緒 ⇒超初歩的な経済活動。 ⇒誰かが「損をしている」わけではない。 ⇒善でも悪でもない。 ⇒転売屋がいるから「高く出せば買うことができる」。 ●真犯人はメーカー ⇒部品不足などにより仕方のないこと。 ⇒少なくとも転売屋も悪くない。 ⇒市場原理に即して値上げできない社会の方が問題。 ●感情論は理解できる ⇒思考停止せず、考えるきっかけにしてほしい。 ●脱税が多いのは悪い事 ⇒でも転売そのものの善悪じゃない。 ●結論:メーカーが市場原理に即して値上げすべき。 ⇒転売とは共存していくしかない。
表面的には極めて論理的な主張だと思いました。「言っていること自体は8割がた嘘ではない」みたいな感じですね。
ただ根本的に「悪ではない」という主張に固執しているので、「違う、そうじゃない」と感じさせられる人が多いのも事実でしょう。この主張をしている人が炎上型のインフルエンサーなのだとしたら、集まってくる批判はまさに思うつぼといったところなのではないでしょうか。
転売不悪論をどう思うか
それでは、各主張に対する感想や意見を述べていきたいと思います。
●すべての価格は需要と供給で決まる ⇒転売屋に市場を操作する力はない ●転売屋は品薄を作れない ⇒必ず品薄が先行する。
そもそも論として品薄がなければ買い占めが不可能というのは事実です。なので大過なく流通している一般流通品に関しては転売行為が不可能。
ただ中国人等による大規模な買い占めが横行しているのも確かで、「本来近くで買えた商品を、余計な手間を加えなければ買うことができない」という点で「流通や小売がもたらすべき輸送という付加価値」を略奪している点には注意が必要です。この主張者は機会損失を経済的損失とは見なしていないようなので(自業自得論)、その辺りは要注意です。
需要と供給で価格が上がるなら、その上がった対価はメーカーや販売店にリターンされるのが正常、という観点に関しても「そもそも値上げなどで対応しないメーカーが悪い」ということなので、ゼロサムゲーム的相場経済を強く肯定している方なのでしょう。
こうした点に関しては「そもそも価値観が特異であるのでノーマルな人種が議論すべき相手ではない」と思います。
●転売屋は在庫を抱えない ⇒値崩れを恐れるから買ったら即売りたい ●転売屋は出品しているだけ ⇒購入価格を決めているのは購入者 ⇒オープン価格品は小売店も吊り上げている。 ⇒メーカーの損失、機会損失は戦略不足による自業自得。
言いたいことは分かるし根本的な間違いがあるわけじゃないと思います。ただし、在庫を抱えたくないから即売りたい=売り惜しみによる流通の停滞がないというのは甘い考えですね。転売屋は基本的に大多数が買いたいと思わない価格への吊り上げを行うため、販売ペースは正常ではなくなります。なので商品が消費者に行きわたるペースが本来より遅れるのは確か。
むしろ最近問題になっているのは「無在庫転売」。店舗Aで安く販売されるのを見つけたら、メルカリなどでそれより高い値段で「在庫がないのに」出品して、その出品契約が成立したら店舗Aへ注文する。そして成約後にもし店舗Aの在庫が切れていたら「売り切れました」と逃げる。
買ってしまう購入者の過失である点については異論はありませんが、「騙された方がバカなんだ」という詐欺師の論理に近いものを感じます。全般的に「違法ではない」「害を振りまいているわけではない」という消極的な論理展開が多く見受けられます。他人の時間を奪う行為は付加価値的にはマイナスであることも要注意です。
もう一点、この型の主張の大前提として「小売店による極端な価格吊り上げ行為は正当な商行為である」という考え方が定まっています。そもそもここを肯定する人がどちらかというとマイノリティだと思うので、何言ってもかみ合わないんじゃないかなと思いました。
※生産終了品や希少品に対するプレミア等の一般的価値上昇は除く。
「そのモノの価値より安い価格で販売されている商品を買い取り、より高い価格で販売する」という商売として「せどり」が定着している世の中でもあるので、グレーゾーンの幅が限りなく広い界隈であるのも事実です。
個人的な感性としては、「せどり」の対象として適切な商品は「価格または主観的価値に流動性が認められるもの」に限ると思いますけどねえ。一般流通品でそれを行うのは付加価値的にナンセンスと言えます。まあこれに対しても市場原理とのことで反論されていましたが、価値観が違うのでしょうがないでしょう。
とりあえず、一般人の感覚としては「だからって限度があるよね」だと思いますが。ダンピング(不当廉売)や市場独占が法律で禁止されているのは何故なのか、という本質を考えて答えを出すと良いかもしれませんね。
該当動画ではPS5の転売が最も基本的な事例として挙げられており、「高騰した価格により消費者がジャンル自体に興味を失わされて市場(ソフト開発・販売等)が衰退する」という意見に関しては「難しい」と述べて明確な回答を出していませんでした。因果関係でいえば、転売屋による高額販売も不当廉売と同様の結果を招くため、「違法ではないが限りなくブラックに近いグレー」という点は否めないと考えられます。
利益を得る代わりに何らかの付加価値を生み出しているか? に常にスポットを当てて私は考えているので、法律や市場原理にさえ不適合でなければ何やっても良いという発想とは基本的に相いれません。キリスト教とイスラム教が相いれないのと同じです。その辺は先ほどリンクを貼った記事でも述べました。
重度の資本主義信仰に則った価値観による商行為を一言で表す、最も手ごろな言葉が昔からあります。「阿漕な商売」です。処罰はされないけど嫌われる。やりすぎると打ちこわしに遭ってしまう。これを「悪じゃないから存在しても良い」と捉える人々っていうのは実際に一定数いますし、これを批判しても始まりませんが少なくとも一般大衆の感性では理解はされないでしょうね。この辺は下記リンクの動画も参考になると思います。
「違法ではないが法律の隙をつくような行動を取る人たち」に関しては「悪徳商法」なんて言い方で切り捨てられたりもしていますから、社会的には悪と見なされるのがマジョリティ(民主主義的正解)なのだとは思います。転売不悪論者の方も、「民主主義の力で法律が新たに定められていくかもしれない」とは述べていたので、これも世界をどのように見ているかの違いに過ぎないと思います。
保険会社や銀行、証券会社などが悪質な金融商品を売りつけることに対して、「騙される消費者が悪いんだ」と考える発想と同じだと思います。これはまあ価値観次第ってことなんじゃないかな。少なくとも私はこういう価値観を持つ人と友達になりたくありませんが。
※保険、銀行、証券会社に勤めている人は、悪質な商品もそれとわからず売っている場合があります。そういった会社員の方を責めているわけではありません。
●(PS5を)並ばないと買えない現状が狂っている
●転売には合法なものも多い
●真犯人はメーカー
⇒とはいえ部品不足などにより仕方のないこと
⇒少なくとも転売屋も悪くない
⇒市場原理に即して値上げできない社会の方が問題。
この言説そのものに反論できる人は誰もいないでしょうが、これは論点のすり替えです。赤信号、みんなで渡れば怖くないとでも言いたいのでしょうか。
でもこの視点は、異なる意味で結構重要だと思います。政治が腐敗して好き放題やってるから、民間企業もどうすればズルして儲かるか考え始めるという現象は間違いなく起きていると私は考えているからです。前回の記事でもこれに関しては少し触れましたね。
とはいえ、「他の連中もやってるから」「自分がやらなければどうせ誰かがやるから」っていうのは、詐欺師や悪徳商法を行う人が「自分は間違っていない」と思い込みたいときに使う常套句ですからね…。これは先ほど取り上げた動画でも述べられています。逆にそうやって何としてでも自分を正当化しなければ精神の安定を保てないというのが、ヒトとしての本能に反しているということの証左でもあります。
ただし、メーカーの値上げに対する圧が高すぎる社会になっているのは1つの問題です。費用が上がったけど値上げができないから販売終了とか、中身を減らしてステルス値上げをするとか、そういった方向に走ってしまうのは結局消費者の首を絞めることになる場合もありますからね。
●転売屋が買った台数だけ買えた人がいる。 ⇒だから転売屋はいてもいなくても一緒 ⇒超初歩的な経済活動。 ⇒誰かが「損をしている」わけではない。 ⇒善でも悪でもない。 ⇒転売屋がいるから「高く出せば買うことができる」
これも先ほどから述べているように、「いてもいなくても一緒なのに利益を上げているのは仕事ではないから不要」の一文で片がつきます。流通や経済が生み出した付加価値を略奪してしまうことによる機会損失に関しても、先ほど述べました。なのでマクロの視点からすれば、一度生産した付加価値に対する損失を生み出しています。
善でも悪でもないって話に関しては、「どうでもいい」「価値観により変わるからその観点で私は物事を論じない」ということで終わりです。
「高くても絶対買いたい欲求」に関してはもう個人の好みなので好きにすれば良いのではないでしょうかね…。ただしそれに関しては、「購入したい側が価格を提示できるシステム」の欠如が不健全性を生み出しています。購入者が常にパッシブでしか行動できない状態に対して「市場原理だから自由」「購入者が価格を決めている」と主張するのは論点がおかしいように感じられます。
結局売れなかったニンテンドースイッチの転売在庫の山みたいなお話に関して、この方はどう反論されるのでしょうね。「在庫を抱えたくないからすぐ売ろうとする」とはいっても、市場原理に即していない価格だから売れ残るんですが。
●感情論は理解できる ⇒思考停止せず、考えるきっかけにしてほしい。 ●脱税が多いのは悪い事 ⇒でも転売そのものの善悪じゃない。 ●結論:メーカーが市場原理に即して値上げすべき。 ⇒転売とは共存していくしかない。
なんかうまい事言ってるなってのが率直な感想です。頭の良い方なのでしょう。転売者がそもそものルールを守っていないことを「論点はそこじゃない」といいつつ、ご自身の論理では論点違いの事を並べ立てているところが詭弁と言われてしまう原因って感じがしますが。
各種論拠には色々とザルな要素が多すぎますが、実は結論だけは大方同意できるので面白いです。いくら批判しても他人をコントロールすることはできないので、転売品を買わない、メーカーができる対策をする、法規制ができる方法を考えるといった対策しか我々は取ることができません。
余談:付加価値のない「金儲け」の限界
付加価値を生まずに利益を得る商行為の何が問題かという点で、別の側面から少しだけ触れておきます。
現代ではすでに、特段の付加価値を生み出さない層が莫大な利益を手にして世界の富の多くを牛耳っている状況が現出しています。いわゆる悪徳商法などもそうですが、相場取引などのゼロサムゲーム、社会組織を利用した逆分配システムなどもそれにあたります。
もし仮に少しくらいは付加価値を生んでいる場合も、明らかに過大な報酬を得ている場合が多々あるわけです。日本の政治家とか。つまり、社会全体が生み出す付加価値の総量は、社会全体が算出する経済的収益よりはるかに少ない状態になっているわけです。
この状態が転売などの民間商行為によってさらに加速されていくと、付加価値を生み出している業種の構成員にかかる負担はさらに増大していきますし、最悪の場合そうした付加価値そのものを「カネを払っても得られない」状態すら起こり得るわけです。
現代国家の政治はその辺りをある程度うまく(ズルく)やりくりしてきたわけですが、そのツケがじわじわ帰ってきているのが現状です。日本の経済停滞もそうした積み重ね(日銀の致命的失策などもあるとはいえ)が生み出していますし、ヨーロッパなどの海外もわりと危なっかしい状態になってきています。
これは他で記事を書くときに述べようと思っていたのですが、カネがすべてを支配する社会が頂点を極めているのがまさに今の時期だと私は考えています。そして頂点というものは、過ぎるとだんだん衰えていくものです。爛熟は頽廃の始まりと言います。
西洋占星術的にも、2020年に土の時代から風の時代に切り替わり、こうした価値観に対するパラダイムシフトが起きていくのではないかという話を聞きました(割と複数の方が述べているので常識なのでしょう)。ちょうど同じようなことを考えていたので記憶に残っています。
というわけで、これからの時代を生き抜いていくには、誰かの言いなりにならずに家計の自己防衛をしっかり行っていくことと同時に、カネがすべてではない時代に適応できる自分の「強み」を明確に持っていくことも大切だと言えます。
近年では45歳以上のリストラもさかんに行われており、生産性の低い人材の雇用が保証されなくなっています。器用貧乏な調整弁ではなく、何かしらの専門性を持った人材のほうが重宝されるかもしれない時代が近づいてきています。
もちろん、これらの変化は一朝一夕で起こるものではありません。とはいえ、むしろだからこそ、今から念頭に置いて行動していくのが転ばぬ先の杖と言えるのではないでしょうか。
まとめ ●すべての価格は需要と供給で決まる ●転売屋は品薄を作れない ⇒言ってること自体は大きく間違ってはいないが だからどう、というわけでもない。 ⇒大規模な買い占めを行う者がいるのも確か。 ●転売屋は在庫を抱えない。 ⇒消費者に行きわたる速度は落ちる。 ⇒何だかんだ在庫が残ったりする現実もある。 ●転売屋は出品しているだけで価格は消費者が決める。 ⇒これ自体は半分は正しい。ただしそもそも論として 「企業や店舗によるボッタクリ販売が適切な商行為である」 という前提の上に成り立っているので注意が必要。 ●並ばないと買えない現状が狂っている ●合法なものも多い ●真犯人はメーカーだから転売屋も悪くない ⇒論点のすり替え。 ⇒詐欺師の自己正当化の常套句。 ●転売屋はいてもいなくても一緒 ⇒いなくても一緒。つまり付加価値を生んでいない。仕事ではない。 ⇒実際には生み出された付加価値を無に帰しているので略奪的。 ⇒経済的損失を招いていないから悪ではない、というのは前提が間違い。 ●感情論は理解できる ●脱税が多いのは悪い事 ●でも転売は悪じゃない ⇒上手くまとめてるなあという感想。 ●結論:メーカーが市場原理に即して値上げすべき。 転売とは共存していくしかない。 ⇒これはそう。法規制や「買わない」対策など できることをやっていくしかない。
合法だからセーフ、というのは悪徳商法を行う人が自己弁護のためによく使う言葉なんですよね。それだけは頭に入れておいた方が良いと思います。そもそも論破することが勝利であるという考え方が著しく目的合理性に欠けるということも忘れないように。
物事の判断には必ず目的が前提として必要になります。木を見て森を見ずということのない客観的、俯瞰的価値観を持つことが大切だと私は思います。
でも、「転売は悪だ! 滅びろ!」何て叫んでても何も変わらないのも事実。結論だけはほぼ同意します。面白いですね。私たちがいくら転売屋を批判したところで彼らには何の影響ももたらしません。もっと建設的なことに時間や労力を割くのがベターです。
さて、今回はある種の「答えのない議論」に関して1つの見解を示してみました。本来議論というものは何らかの目的をもって行われるべきものなので、実はこの話題そのものには哲学的欲求を満たす以上の意義は存在しません。
しかし物事の考え方の1つのあり方を示してみるには良い題材だと思ったので展開してみました。論者の主張に枝葉が多すぎたのもあって非常に時間がかかりましたが…。そして文字数も多くなりすぎた。かといって分割もできなさそうなので読むのに疲れたと思いますがご容赦を。
論客って人種は言葉の洪水で抵抗する意欲を失わせて「論破した気になる」っていう良い見本なのかもしれない。個人的には論破という行為に何ら意義を見出さない人種なので、特段これ以上議論したいとも思いませんし、ツイッター等でもしこのタイプの主張が押し付けられた場合、「めんどいから」スルーってなると思います。
同様の理由から、動画リンクは貼りませんでした。見たければ前記事のコメントにありますが。
何年も前までは私のツイッター個人アカウントに、論破したがる人がかみついてくることもありました。空リプで何か言ってる人とかもいましたね。しかしその後、生き方や考え方を変えていった結果、そうした面倒な人間に絡まれることは一切なくなりましたね。空リプ批判タイプはそもそも見ないことにしましたし。平和にチラシの裏を適当に投下するだけのアカウントに落ち着きました。
下記のリンク記事でこの辺りの価値観論についても述べています。決定的に価値観が違う人間同士はいくら語り合っても「分かり合う」ことはあり得ないので、根本が違うと感じた場合はおとなしく距離を取るのが適切な行動です。