すべての原因は自分にある?~自己選択論について

 ここ3年ほど前から時々耳にするようになったセルフマインドのあり方について、自分なりの認識を上乗せして紹介してみます。「物事が思い通りにいかない」人や、「自己承認が極めて弱い」人なんかにはクリティカルに効いてくる発想の転換になるんじゃないかと思います。


もくじ
1.“すべては自分が原因”説
2.自己責任論との違い
3.自己卑下との違い
4.予定調和論とのシンパシー
5.思考テクニックの応用
6.おわりに

 

1.“すべては自分が原因”説
 「自分に起きた出来事のすべては自分に原因がある」。近年このような思想を巷でちらほら見かけたり、耳にしたりするようになりました。この文言だけ見ると、極めてスピリチュアルな思想に見えてしまう人もいると思いますが、むしろ合理的思考法の一種といえます。具体的にどのように物事をとらえるかという例を、次に列挙してみます。

●信じていた友人に裏切られた
⇒そういう人と付き合うことを選んでしまったのは自分。

●ブラック企業で体を壊してしまった
⇒その会社への就職を決めたのは自分。
⇒そうなるまで退職しなかったのも自分。

●投資詐欺に騙された
⇒最終的に「投資する」選択をしたのは自分。

 主張する人によって細かいパターンの違いはありますが、出来事に対して上記のような因果関係をもって解釈する点については共通していると思います。このような考え方を暫定的に「自己選択論」と名付けておきます。

 もちろん、天変地異や生まれ育った環境などの、そもそも個人が介入できない出来事に対して用いられることは基本的にありません。ただし今回の内容からは逸脱しますが、そのようなどうにもならない出来事や環境すら、「自分にとってこんな意味で必要なものだった」と超絶ポジティブな解釈をしていく思考法もありますけどね。

 

2.自己責任論との違い
 これだけ見ると、「何だただの自己責任論じゃないか」という人もいると思います。しかし、巷で「自己責任論」として用いられるのはあくまで社会保障的な観点(救済されるべきか否かetc…)での議論によるもので、「そうなった責任は当人にあるから自助でどうにかしろ」という論調で用いられることがほとんどだと思います。

 自己選択論は往々にして細かな説明がおろそかになり、「原因は自分」というフレーズばかり目立ってしまうため、誤解を招きやすい考え方といえます。自己責任の話でないことを丁寧に解説されている媒体もありますが、それでも細かな言い回し等に微妙な違和感を感じたりするくらいには、言語化しづらい概念です。

 社会の側から見た三人称的価値観である自己責任論とは異なり、自己選択論は自分が物事をどう解釈し、行動していくかの指針のようなものです。なので基本的に一人称で完結するものとなっています。例えば以下のようなマインドで行動することになります。

●信じていた友人に裏切られた
⇒そういう人と付き合うことを選んでしまったのは自分。

●ブラック企業で体を壊してしまった
⇒その会社への就職を決めたのは自分。
⇒そうなるまで退職しなかったのも自分。

●投資詐欺に騙された
⇒最終的に「投資する」選択をしたのは自分。

⇒だから次からは同じような過ちを繰り返さないようにする。

 出来事そのものをありのままに認知し、主観的解釈と行動のみを切り替えていく思考法なのです。

 

3.自己卑下との違い
 「すべての結果を自分のせいにするのは単なる自己卑下じゃないか」という声も聞こえてきそうです。しかし自己選択論は自己卑下と見た目こそ似ているものの全くベクトルの違う考えです。

 自己卑下的な考えのベクトルは「〇〇は自分のせい」→「だから自分が悪い」→「だから結果をそのまま受け入れるべきだ」というところで完結し、自分を責めることを免罪符に現在の状況を承認する自己犠牲的な発想となります。

 それに対して自己選択論は、「起きてしまった現実は変えられない」→「でも原因は自分に“も”ある」→「だからその原因を直して次に生かしていこう」という、内省と改善のプロセスです。自己卑下は現状を「仕方のない是」とするのに対し、自己選択論では現状を「仕方のある否」とするわけですね。

 発想の鍵が似ているにもかかわらず、もたらす結果は正反対のものとなるため、自己卑下に囚われている人がその思考ベクトルを切り替えると一気に世界が変わると言っても過言ではありません。環境を変えたいなら今を捨てることを「自分で選択する」ことが必要ということです。悪い結果の原因が自分であるなら、良い結果の原因を生み出すことも同様に可能ってことです。何かを得るためには何かを捨てる必要があるというのはよく言われることです。

 

4.予定調和論とのシンパシー
 自己選択論の根底にあるのは、実は予定調和論であると私は考えています。予定調和論については、下記の記事でまとめています。

雑記:「天使と悪魔」から述べる予定調和

 簡単に言うと、予定調和とは以下のような概念であると私は認識しています。

●人は他人を変えられない。
⇒人は他人をコントロールできない。
⇒人が変わることができるのは自分の意志によってのみである。

●ただし「変わるきっかけ」を与えることはできる。
⇒「知識がない」というのは「変化への選択肢」が少ないということ。
⇒きっかけを得たとき「変わる」ことを選択したのは本人である。

●世界を変えるということは自分を変えるということ。
⇒解釈の違いで受ける影響が変わるのが一つ。
⇒自分を変えることで、その後の出来事を変えられるのが一つ。

 ヒトという生き物はそれぞれ不可侵の精神世界を持っており、いくら物理的影響を受けようと「変わる」ことを自分で選択しなければその本質が揺らぐことはない、ということです。「他人は変えられる」というのは極めて傲慢な発想です。マインドコントロール(洗脳)のことまで考えると複雑になりすぎるので、そういうのは今回は抜きで。

 つまり、他人は変えられないので、自分にも原因があるという発想の転換を行うことで、確実に変えられる部分を変えていくってことですね。不思議とこれが上手くいったりするんです。何故か普通は変えられない環境の方まで変わったりするんですよね

★予定調和の一例★
1.他者への評価について
A.他人に対する自分の評価
⇒自分が決めれば良い。誰からもコントロールできない。
B.自分に対する他人の評価
⇒コントロールできない。評価される人を目指すことはできる。
C.他人に対する別の他人からの評価
⇒一切コントロールできない。主観を説くことくらいしかできない。

2.思想や価値観、宗教に対する是非の判断
A.ある思想のことを(自分は)認めない。
⇒自分が決めれば良い。誰からもコントロールできない。
B.ある思想のことを(他人に)認めさせない。
⇒一切コントロールできない。主観を説くことくらいしかできない。

 「自分に対する他人の評価」を高く見積もったりコントロールしようとしたりして自爆する人、結構見たことがあるのではないでしょうか。例えば「自分が偉いと勘違いする」のが典型的なこのタイプですね。承認欲求の奴隷になったり、自分の思惑通りに行動しない人を攻撃、排除したりしないように注意したいですね

 

 

5.思考テクニックの応用
 自己選択論の考え方を応用することで、自分にとってより良い選択の指針とすることができます。例えば最初に取り上げた例に関しては以下のような流れになります。

●信じていた友人に裏切られた
⇒そういう人と付き合うことを選んでしまったのは自分。
⇒元々は必要な相手だったのかもしれないけど、
 自分のレベルが上がって必要な相手ではなくなったのかもしれない。
⇒相手の行動を、反面教師として学習する良いきっかけだった。

●ブラック企業で体を壊してしまった
⇒その会社への就職を決めたのは自分。
⇒そうなるまで退職しなかったのも自分。
⇒自分にとって嫌な働き方、無理な働き方が分かった。
⇒自分に向いた働き方を改めて考えるきっかけになった。

●投資詐欺に騙された
⇒最終的に「投資する」選択をしたのは自分。
⇒「ダメな投資」のパターンを知ることができた。
⇒もっと大きな金額を失う前に失敗できて良かった。
⇒再現性の高い投資について勉強するきっかけになった。

⇒だから次からは同じような過ちを繰り返さないようにする。

 このように、「次に生かす」という思考をすることで、物事をポジティブな側面からとらえることができます。自己責任や自己卑下と最も異なる部分がコレです。自己責任や自己卑下は「謝ったり、現状を追認したりすればそれで終わり」ですが、自己選択論では「終わったことは次へのステップ」と捉えます。

 

Ⅰ.対人関係の更新と距離感
 自分の思考レベルや価値観が変化すると、元々付き合っていた人とコミュニケーションの齟齬が生まれるというのは普通に起こり得ることです。そういった場合は会話の次元がかみ合わなくなるので、相手の方も違和感を感じているかもしれません適切な距離を置くなり付き合うことを止めるなりするのは案外悪くないことです。

 自然な自分でいるとき、自然と周りに寄ってきて自然と付き合える人々が、今の自分に応じた人間関係であるといえます。もちろん相性の悪い人とのかかわりを完全に回避することはできない場合もありますし、悪意や詐欺を持ち込んでくる人間も完全になくすことはできないかもしれませんが、不思議と「ほとんどなくなる」または「接点を持ってもすぐに関わらなくなる」のは本当です。

 価値観が根底から合わない人間とは、どれだけ理性的に話し合っても根っこでは分かり合えないので、「そういう人間もいる。でも自分とは相性が悪い」と割り切って深入りしないのが最も適切な距離感です。価値観の違いについては、キリスト教徒とイスラム教徒が宗教の話をしても本質的に分かり合うことができないのと同じです。

 やたら気を遣わされたり、付き合うだけで疲れたり、自分の価値観に否定的だったり、意図的に話しかけないとコミュニケーションが発生しなかったりする相手との距離感は一度見直してみると良いかもしれません。もちろん仕事などで完全に避けられないこともあると思いますが、一定の距離感を保つことは可能です。

 

Ⅱ.他人の状況も自己選択
 他人の価値観を否定するタイプの人とは基本的に関わらないのがベターです。他人は変えられないから相手をしてもしょうがないし、変わるきかっかけを与えるボランティアを続けても自分がしんどいだけだし、そもそもの実現可能性が天文学的に低い確率だと思われます(そのタイプの人種はきっかけに気づくこと自体がほぼ不可能)。そういう結果を招くのも本人の選択なので、わざわざ怒られるくらいならそっとしておいてあげましょう

 たとえ議論で論破したところで、相手の本質が変わるわけではありません。価値観の違う人間同士の議論は決着がついたように見えても「もう話にならないわ、ほっとこ」といった事実上の決裂であることも多いでしょう。もし完全な論破で反論の種が尽きただけだとしても、やっぱり本心からの納得で改心、なんてことは滅多にないはずです。

 建設的な目的のない議論は単なる時間の無駄です私はマイナスベクトルでの議論へは基本的に介入しない、相手をしないようにしています。ここ数年はそういう議論を持ち込んでくる人を一切引き寄せないようになりましたけどね

 

Ⅲ.失敗と自己目的
 何かに失敗した場合も、何故うまくいかなかったか考えるのに自己選択論を用いることができます。かの有名な発明王トーマス・エジソンの言葉にこういうものがあります。「私は失敗したことがない。ただ、1万通りの『うまく行かない方法』を見つけただけだ」と。うまく行かない方法さえわかれば、それをすべて回避していけば目的達成率は大幅に上がっていくわけです。将来の本番のための練習ができたと思いましょうといったところでしょうか。

 それは純粋に方法論としての成功失敗もあるでしょうし、そもそもの方針が自分の望むものであったかということを再考するきっかけにもなるでしょう。人間は意外と、自分の本当の目的や願望を把握できていないものです。また他人のせいにしている限り、自分の選択が目的に根差していなくても「しょうがない」として変化を嫌っていく傾向にあります化によって得られる可能性があるリターン(利益)よりも、それによって失う可能性のあるリスク(損失)に対して過剰に反応してしまう「現状維持バイアス」を持っているのが、人間という生き物なのです。

 「自分が本当に望むものは何か」「それに必要な物は何か」「不要なものはないか」「本来の望みに対して過剰なものを追い求めていないか」などを改めて洗い出し、後悔しない選択を行っていくというのが自己選択論に根差した意思決定といえます。近年割と頻繁に見かけたり聞いたりする概念ではありますが、自分の深層心理の本音に従って生きるというのはどうやら相当に重要な事のようです。本音通りなら他人に迷惑をかけても良いのかという屁理屈は抜きで。

 

6.おわりに
 以上、自己選択論と名付けた、「自分に起きた出来事はすべて自分に“も”原因がある」という思考法についてまとめました。この思考法は、自己の改善点を洗い出し、次から同じ失敗をしないように修正していく自己修復プログラムのようなものです。「自分のせい」というのは一種の言葉の綾で、「何故そうなったか」「次にそうならないためにはどうすれば良いか」という因果関係を導き出す際に、他者に依存せず自分が変えられるところを変えていこう、という極めて建設的なプロセスなのです。

 これまでの流れから、敢えて「自己選択」という単語を用いた理由もある程度察していただけたのではないでしょうか。当然ながら「責任」の問題ではないし、「原因」ということばも個人的にこの思考法の本質ではないので違和感がありました。そこで、「自己」の「選択」がすべての出来事の結果に結びつくという捉え方でこの名称を付けました。人生というのは判断と選択の連続です。今日の朝ごはんとか、外に来ていく服とかもすべて、小さいながらも自分で選択を行っているわけです。

 ちなみに、自己選択論は物事がうまくいっているときの加速的思考法としても用いることができます。今回うまく行ってるから、次も同様にうまくやりたいときの思考ですね。

●価値観の合う善良な人たちが周りに集まってきた。
⇒そういう人々を引き寄せたのは自分。

●自分に合った仕事で適切な待遇を受けて働けている。
⇒そういう仕事や会社を見つけたのは自分。

⇒うまく行った理由を導き出し、次もうまく行くようにする。

 「今の素晴らしい状況を作ったのは私」という考え方ですね。ただしこの思考法は道を踏み外すと独りよがりになるので要注意あくまで周りのおかげであることを前提として、でもこの状況を招いたのは自分である、という認知です。慣れてきて、物事がうまく行くようになった時に一度考えてみても良いかもしれません。


まとめ

1.“すべては自分が原因”説
 ⇒その結果を招く“選択”をしてしまったのは自分である。

●信じていた友人に裏切られた
⇒そういう人と付き合うことを選んでしまったのは自分。
⇒元々は必要な相手だったのかもしれないけど、
 自分のレベルが上がって必要な相手ではなくなったのかもしれない。
⇒相手の行動を、反面教師として学習する良いきっかけだった。

●ブラック企業で体を壊してしまった
⇒その会社への就職を決めたのは自分。
⇒そうなるまで退職しなかったのも自分。
⇒自分にとって嫌な働き方、無理な働き方が分かった。
⇒自分に向いた働き方を改めて考えるきっかけになった。

●投資詐欺に騙された
⇒最終的に「投資する」選択をしたのは自分。
⇒「ダメな投資」のパターンを知ることができた。
⇒もっと大きな金額を失う前に失敗できて良かった。
⇒再現性の高い投資について勉強するきっかけになった。

⇒だから次からは同じような過ちを繰り返さないようにする。


2.自己責任論との違い
⇒社会的責任や社会保障のあり方とは無関係。
⇒自分が物事をどう解釈し、行動していくかの指針。

3.自己卑下との違い
⇒自分を責めるだけでは何の意味もない。
⇒失敗した理由を見つけ、次に生かす建設的思考。
⇒環境を変えることを“自分で選択”する。

4.予定調和論とのシンパシー
⇒人は他人を変えられない。コントロールできない。
⇒自分が変わるor自分の解釈を変えることで環境を変えられる。

5.思考テクニックの応用
Ⅰ.対人関係の更新と距離感
⇒合わなくなった人とは無理せず距離を置く。
⇒自然な自分と相性の良い人々を引き寄せていく。
⇒価値観の違いは根本的には分かり合えない。

Ⅱ.他人の状況も自己選択
⇒他者否定をする人からは距離を置く。
⇒建設性のない議論は時間の無駄。

Ⅲ.失敗と自己目的
⇒失敗とは「失敗するパターンを知ること」。
⇒自分にとっての真の目的を知ることが大切。

6.おわりに
⇒自分に起きた出来事はすべて自分に“も”原因がある。
⇒自己の改善点を洗い出して次に生かすプログラム。
⇒自己の選択がすべての出来事の結果に結びつく。
⇒うまく行った理由を考え、次もうまく行くようにすることも可能。
⇒自分の人生や環境を変えられるのは自分だけ。