散文

投稿日 2022年2月20日 最終更新日 2023年2月20日

 蛇足といえば蛇足極まりないですが、たまにはふっと降りてきた言葉をそのままつづってみるのも悪くないかというテスト。


無音という純粋無垢なその音を
器楽という極彩色の音よりも

綺麗と感じる自己が生じたのは、
気が狂ったのか正気に戻ったのか

 

音を愛でるという感受性
失ったのが自分であるのか、

自分に感受を与える力を
世間が失っていったのか

存在するそれらが「届く」という
現象をもたらす光を失ったのか

あるいは、そのいずれもが
三脚のようにバランスを取り

「可もなく不可もない」
味気ない調和を生んだのか

正常すぎる価値判断をもたらし
乾燥した認知へいざなうのか

 

感受というものが
コップに溜まる水のように

溢れたその時にこそ
突き刺さるモノであるのなら

正しくあることとは
灰色の日常を指すのか

正常であるということは
種としての狂気であるのか

それでも其処には確実に
カタチとしては存在する

 

それはこの第三の次元へと
存在を縛る呪縛なのか

己の消失に対する
耐えがたい恐怖への逃竄なのか

 

全てを「視る」ということに、
耐える機能を持たぬモノ

全てを「知る」ということに、
耐える時間を持たぬモノ

 

一を知るは十の無知を生み
十を視るは百の無視を生む

それでも知への渇望を求めて
それでも視への好奇を認める

 

どちらが狂っているのかと
どちらが正しくあるのかと

それそのものが 嘘であり
ただ在るものに 色はない

 

正邪に何も 意味はなく
ただただ“在る”を 感じ行く

そこには何の 正義もなく
そこには何の 過誤もない

ただあることに 意義はあり
ただ為すことに 意味はない

 

存在証明 正邪の証明
それらを求めるその煩悩

それこそある種の 過誤であり
ただ在ることこそ 真の音

 

行く川の流れるその音を
ただ無邪気に聞き流すように

春夏秋冬の激しさを
喜怒哀楽と見るように

元の水にあらざるそれを
変わりゆくものと受け入れるように