投稿日 2021年11月4日 最終更新日 2021年11月4日
基本無料オンラインRPG(MMO,MO)の在り方の変化について年々思うことがあるので、徒然と考察していこうと思います。「課金」と「コンテンツ」の2項目に分けて述べます。今回は「課金」。
課金の在り方
課金アイテムの売り方や、購入するプレイヤー側の意識というものが年々変わってきたことをひしひしと感じます。まずはそれについて大雑把にまとめ、その後アラド戦記の増幅という具体例を用いて考察していきます。
重課金や強さへの課金の在り方(旧来) 運営 :課金=強さではなく、利便性や 見た目などへの課金が中心 ユーザー:重課金者の割合はごく少数で、 行うとしても課金売りが中心
重課金や強さへの課金の在り方(近年) 運営 :強さに直結するアイテムやゲームコンテンツの スキップを商品化し、課金煽りが激しくなる ユーザー:重課金もありふれたものとなり、 安直に強くなるための課金は当然のものとなる
おおよそ5年ほど前くらいまでは、高額課金をするユーザーは少数派で、運営側も利便性や作業の時短、見た目などに関するアイテムをベースに商売していました。ゲームマネーを安直に稼ぎたいプレイヤーが課金限定アイテムをマーケットに流して利益を得る「課金売り」くらいが、重課金者の行う課金の在り方だったといえます。
その後年々と、高額課金がユーザーにとって当たり前のものとなり、運営側もコンテンツの短期消費や現金での即解決を許す代わりに、強烈な課金煽りの限定販売を乱発する時代へと推移していきました。
アラド戦記における増幅
従来の増幅システム(70キャップ初期まで)
旧来、増幅とはごく一部のハイプレイヤーが行う最後のキャラクター強化手段であり、課金でそれをサポートするアイテムも存在せず、またゲームコンテンツを通常の手段で遊ぶなら特に必要のない趣味システムでした。
矛盾の結晶体や濃密な異界のエッセンスという専用素材は異界ダンジョンでしかドロップせず、矛盾の無色キューブからの変換もなかったし、そもそも黄金増幅書がないので気つき装備を直接拾う以外に(しかもこれがまた当時はレア)増幅の入り口に立つ手段すらありませんでした。
仮に気つき装備を拾って気解除しても、目当ての能力以外がついてしまった場合、強烈な痕跡は装備の強化破壊からしか生成されません。そのため全身を目当ての増幅でそろえる事自体が極めてレアケースだったのです。つまり、金策や課金をいくら頑張っても、そもそも入口に立てる人自体がめったにいなかったのが当初の増幅システムでした。
なので過剰増幅どころか+7や+10の増幅を持つプレイヤーすら極めて少数派、ほとんどのユーザーが興味すら持たないシステムであったことを覚えています。私も偶然目当ての能力がついた装備を+7にする以外は手を出していませんでした。
※なお、70キャップにおける増幅大乱はぶっ壊れすぎて再来がなかったレベル(おそらく運営にとって失策扱い)であったため、例外とします。この時代にクロニクルを全身増幅過剰し、しかもそれがアントンレイドでも役に立つ装備だった場合は非常に幸運だったと言えます。オーパーツを入手していたようなものなのですから。ニルスピなどがそうですね。
趣味増幅時代(70キャップ後半~90キャップ)
その後増幅保護券や黄金増幅書といったアイテムが課金に投入された結果、若干の趣味人が増幅に全力を注ぐようになっていきました。私もその一人です。
あくまで増幅への参入や過剰増幅チャレンジの参入障壁がなくなっただけなので、ゲーム内金策や課金アイテム売りで大量に資金を投入し、通常システムの範囲内において全身増幅を目指していたのがこの時代です。なので全身増幅11には10万円程度では到底足りませんでしたし、12増幅の場合1部位で+11と同じくらいかかるのが当然でした。
増幅した装備を持って、PT推奨、あるいは4人PT用に作られた高難易度ダンジョンを無理やりソロでクリアする、またそのクリアタイムを縮めつつ華麗に攻略していくのがこのころのプレイの醍醐味となっていました。
増幅課金煽りのはじまり(90キャップ終盤~95キャップ)
この時期になると、装備増幅の素材集め自体を課金でスキップできるようになっていきました。1回用増幅機や、ついには+10装備増幅券の実装などがそうですね。
こうなると、ゲームシステムへの参入自体を考えていなかった層が、「課金すれば強くなれる」ということで一気に大勢参入していきました。
これ、課金誘導として極めて効果的なのは否定できません。ゲーム内でハイプレイヤーのみが行っていた高コストシステムへ、運営が課金アイテムを用意することで搾取するとともに参入させていくやり方。ただしバランス判断を誤るとゲーム自体の寿命を縮める最悪の方法にもなるのですが。良くある話です。
後述のコンテンツの項でも話しますが、このころからは増幅というコンテンツそのものの在り方も変わっていきます。フィンドウォー以降、ゲームの“コンテンツ化”が進んでいったため、効率の範疇でゲームをプレイさせる圧がかかっていき、個人の趣味で何かにチャレンジする遊びの幅は狭まっていきました。
なので増幅の目的も、バッファーを除いてはサンドバッグという極めて数値的な自己満足のためのものとなっていきます。地域バフによる救済もありますが、そもそも無くてもクリアに支障がないからです。またこの時期は装備集めに個性がない時代だったため、上位層がキャラクターの強さで差をつける手段が増幅以外ほとんどなかったのも特徴です(称号クリーチャーのインフレはありましたが、そろえている割合が高い)。
コンテンツの安売りによる課金全盛期(現在)
+11~12装備増幅券や秋の増幅イベントが完全にコレですね。もはや増幅というコンテンツをありふれたものに落とし込み、その代わりに課金アイテムとイベントでしっかり搾取していく。
ありていにいえば、自動車というものが大富豪のみ手を出せる代物であった時代から、フォードなどの大量生産によって庶民でも手が出せるようになった時代への変遷と似たものを感じます。もはや微課金プレイヤーでもこの手のイベントには手を出したりしていますからね。
増幅にかかる費用も「趣味増幅時代」の10分の1程度に収まっているように見受けられます。1人当たりの消費金額を抑える代わりに、大多数から金銭を持っていく平等感という感じでしょうか。ある意味では良心的なのだけど、ある意味ではゲームの面白味を減少させてしまうので劇薬といえます。
再びまとめると、昔は重課金者がマイノリティ極まりなかった上に課金アイテムも強さに直結するものではありませんでした。
それが年々、それなりの高額課金を行う層がマジョリティとなっていきつつ、一方で運営は強さに直結する課金アイテムやゲームコンテンツ自体をスキップさせるアイテムを販売して、まんべんなく搾り取っていくスタイルに転化していったといえます。
課金の在り方の変化の要因
ユーザーの意識に関しては、スマホの普及に連動したソシャゲの流行とともに変化していったように見受けられます。
ガラケー時代のソシャゲはブラウザゲーを劣化させた程度のものでしたが、スマホが普及したのちのそれは多少のゲーム性を有するようになり、また屋外や出先でもプレイできることから、社畜層などの時間が取れないユーザーにも手を出しやすいし安直に結果を出しやすいことが流行につながった側面もありますね。
こうした世の中の流れをくみ取った上で、オンラインゲームの運営会社も安直に結果につなげる課金アイテムを売り出すようになっていったのでしょう。
ただし先ほど述べたように、ゲーム内でハイプレイヤーのみが行っていた高コストシステムへ、運営が課金アイテムを用意することで搾取するとともに参入させていくやり方はかなりの劇薬で、利益誘導として極めて効果的であるとともに、ゲーム自体の寿命を縮めるリスクが著しく高いです。実際このような課金体系によって人口減少を生み出してしまうゲームもあります。幸いアラド戦記はそこまでひどい状態ではないですけどね。
個人的な価値観の話
ここからは、ものすごく主観的かつマイノリティな話題となっていきますので、流し読むくらいがお勧めです。多分解読はできても理解はできない人の割合は多いと思います。
旧来の重課金=趣味の時代は、マジョリティが重課金を忌避する時代であったからこそ、敢えてそれを突き詰めてみる意義が大きかったと思っています。コンテンツの話を少し先取りしますが、異界ソロやアントンレイドソロ、レクイエムソロなどはその最たるもので、非常にやり込み甲斐のある趣味チャレンジでした。そしてそのための課金という「投資」も一種のやり込みといえましたね。
それが近年は運営の課金煽りの上手さと、課金しない人のほうが却ってマイノリティになってきたこと、課金アイテムそのものがシステムの一部と化して”運営の敷いたレールに乗る”ような形になってしまったことから、逆にそれに乗っかって資金をフル投下してあげるほどの魅力がなくなってきたように思われます。
一定金額を課金して初めて「みんなと同じ」スタートラインに立つというのは、まさにソシャゲの課金煽りシステムと同様です。それ以上は基本的に札束で殴りあって数値を高めることを競うだけになってしまうため、ある種のロマンや感動というものとは無縁、無機質な数字ゲームとなります。
さらにこの手の数字争いは完全な消耗戦となるので、結果的にものすごくコストパフォーマンスの悪い趣味となります。コンテンツの項目でも述べますが、ここまでくるとゲームプレイ自体への影響は極めて希薄なんですよね。
旧来のソシャゲは「ただのイラストに何十万円も課金する」と言われていましたが、近年のソシャゲやそれに類似した課金体系のオンラインゲームは「ただの数字に何十万円も課金する」状況が現出してきていて面白いです。
数字そのものは極めて無機質で、それ自体には何の魅力もない概念のはずですが、ユーザー同士を競わせることでそれを「数字フェティシズム」とでもいうべき新たな価値基準へと昇華されています。
ここは個人的な価値観極まりない話ですが、装備をそろえた結果の成長曲線としてのサンドバッグ数値の上昇は非常にやりがいを感じましたが、ただ現金を入れた額に応じてそのまま数字が上がっても、正直何の感動も達成感もありません。これはToSなど他のゲームでも共通です。
ただし、アラド戦記はその点上手くやっている方だと思います。増幅にしたってあくまでコンテンツからすれば脇道の、やらなくても支障はなく、やれば追加で強くなれるシステムにすぎませんからね。まだまだゲームの寿命そのものを切り売りするゾーンには入っていません。
なので、マジョリティが課金者層となった現在、私個人としては逆に課金額を抑えるプレイに走っています。みんなが自分と同じことをやり始めたら、同じフィールドで物量的に競うのではなく、その時点からで新しいフィールド、価値観や個性を模索していくことこそが趣味のやり甲斐だと思っているからです。戦いにおいても物量による消耗戦はスマートではありませんし、コスパも悪すぎます。
手段の目的化。課金アイテムがゲームシステムへの浸食すると、これが顕著に現れがちです。何のために課金し、何のために強くなるのかを忘れないようにすることを強くお勧めします。
私個人としては、増幅に関してはもうよほどの臨時収入でもない限り、スピ+12、クルセ&エルブン&巫女+11からさらに伸ばす予定はありません。その代わりにダンジョンでの強さに顕著な影響をもたらす日本独自アイテム(称号やクリーチャーなど)はこの4キャラのみ常に更新していくことになるでしょう。