東洋史概説:春秋~覇者の時代

投稿日 2021年1月26日 最終更新日 2021年1月28日

歴史における新テーマの記事を投稿しようと思ったのですが、
前置きの時代背景に関する解説が長くなりすぎたたため別記事としました。
末尾ではおすすめ図書も紹介しています。


春秋時代とは
 中国の春秋時代がどのような時代であるかについて、解説していきます。春秋時代とは東周期前半のことを指し、周の平王の東遷から晋の分割までを大まかな範囲とする。といっても分からない人が多いと思います。そこで、もっとさかのぼっていきましょう。


 以前の記事の簡易表に古い時代を追加しました。中国の歴史は神話時代である三皇五帝の時代に始まり、実在が確実視される夏王朝から商王朝周王朝の時代へと続きます。商はという呼び名が一般的には有名ですね。小説、漫画で人気のある封神演義の舞台は殷末周初で、紂王妲己周の武王・発周公旦太公望は歴史上の人物です(もちろん宝貝だのなんだのは創作です)。商の紂王(受王)を滅ぼしたのが周の武王であり、周王朝のはじまりとなります。

 周王朝は儒教上で理想の統治が行われた時代とされていますが、歴史学的にその実態は定かではなく、歴史書の記述も半ば伝説の域を出ない(建前上、極めて長寿な王朝なのですが、歴史の記述があまりに薄いとか似たような事件を繰り返しているとか色々ある)ため、その実態は曖昧模糊(あいまいもこ)としています。その周王朝は幽王の時代、後継者問題などの複合的な要因によって犬戎という異民族の侵攻にあい、都の鎬京は壊滅状態に。幽王と太子の伯服も殺害されてしまいます。紀元前770年のことです。(幽王の暗君っぷりとその後継者問題も短編小説にできるほどの物語性があるのですが省略します。)

 そこで群臣は、もとの太子であったが後継者問題により廃された宜臼を王に即位させ、都を東の洛邑(のちの洛陽)に遷しました。宜臼は死後、平王と呼ばれます。ここから東周時代が始まります(それ以前は西周と呼びます)。その東周時代の前半を、かの孔子が記したとされる歴史書『春秋』の範囲に合致することから、春秋時代と呼び表すようになったわけです。

 なお、東周の後半を、また当時の歴史について記された『戦国策』という書物にちなんで戦国時代と呼びます。戦国策は歴史書というより、外交などに携わった論客(縦横家)の教科書のようなものだったと考えられています。日本にも伝わった故事成語の多くは著名な論客による弁舌術の内容だったりして、これも興味深いものです。

 

覇者の時代
 周王朝はもともと都市国家の連合体で、それらの盟主のような形で一段上の権威と権力を持っていたと思えば良いと思います。しかし、春秋時代あたりから各地の都市国家が他の都市国家を侵略し、自領とするようになっていきました。その結果複数の都市を領土とする強国が生まれ、弱国を滅ぼしたり、従えたりする戦乱の時代となっていったわけです。ただし広域を統治する領域国家としては未成熟で、統治機構の完成は戦国時代、ひいては秦王朝まで下っていきます。ちなみに公・侯・伯・子・男という爵位はこの都市国家の君主たちの称号でした。例えば魯は公爵、晋は侯爵です。
※各国の君主を諡号(没後の称号)で呼ぶ際は、例えば「晋の文公」のように、公爵でなくても公の字を使います。


▲春秋中期あたりの勢力図。君主名は著名な人物と思ってOK

 そうした時代背景の中で登場したのが覇者という概念です。(歴史上は「」とも呼ばれたりします。この場合も伯爵の意味ではなく、「覇」と同義と思って差し支えありません。)周王朝の力が衰えたので、実力のある諸侯が周の代わりに諸侯を総攬(そうらん)し、中華文明圏の秩序を保つ、という役割を覇者が果たすようになっていきました。これに対して、もともと漢民族とは別の文化を持っていたと思われる西の、南のなどが勢力を拡大し、その過程で周から諸侯として認められたりしています。

 特に楚の国は積極的に中華文明圏に侵略を行い、隣接する国を滅ぼしたり、従属させたりするようになりました。実は覇者の誕生過程にはそういった側面も影響しています。他民族の侵略から盟約参加国を守る、という活動も覇者の責務の1つだったのです。周王朝の権威を守り、夷戎(異民族)を退ける、まさに尊王攘夷こそが覇者の役割だったわけです。また、盟主である覇者を中心とした諸侯会同では諸侯国間や国内で起きた紛争についても政治的、軍事的解決を行いました。こうした枠組みは、現代の国連に近いイメージでとらえれば良いかもしれません。

 

覇者の系譜
 春秋初期には、周の再建に貢献したの国が卿士として覇者に似た役割を果たしましたが、次第に衰えていきます。その後に勢力を伸ばしたのは斉の桓公・小白で、北方異民族や楚国による中華文明圏への侵略に対応しているうちに、周王から覇者(方伯)として認められた最初の諸侯となります。彼を支えた管仲についても、三国志の諸葛亮の逸話によって有名な人物ですね。彼はもともと桓公と後継者の座を争う公子に仕えていましたが、敗北後は許されて桓公に仕え、国政、外交の要として覇権の樹立に貢献しました。鮑叔との友情は「管鮑の交わり」として有名です(多分に鮑叔の自己犠牲によるものが大きいのですが)。ちなみに、斉は太公望が封ぜられ、その子孫が収めた国です。

 しかし桓公の死後、斉は後継者争いを繰り返して衰退してしまい、覇権どころではなくなります。(この間の混乱期に宋の襄公が覇者を志して活動して楚に敗北し、「宋襄の仁」の故事が生まれました。)その後周王朝や諸国の混乱を収め、覇者の座に就いたのが晋の文公・重耳です。彼は晋の後継者争いによる混乱から逃れて家臣とともに長年諸国を放浪、時には野人に食料を乞うて土くれを与えられる、といった極限状態をも経験しました。しかし楚の成王に厚遇され、のちには秦の穆公の後援を得て晋の君主として即位。内乱状態だった周王朝を立て直し、城濮の戦いで楚に勝利して覇者の道を突き進みました。

 

南北対立の構図
 これ以降も、春秋時代には中華文明圏における諸侯会同の盟主としての覇者である晋 VS 南方勢力の覇者である楚の抗争、という構図が長らく続きます。中間地帯にいる多くの諸侯国を、できるだけ自国の盟下に引き入れようと軍事、政治両面でさまざまな攻防が行われます。対立構図としては米露の冷戦時代をイメージすれば分かりやすいかもしれません。(従属先の変遷が激しい、戦争がたびたび起きているなどの違いはありますが。)楚国のほうは軍事力による支配なので周王の認定など当然存在しないのですが、時代が下るとともに名分ではなく実質上の権能から、諸侯会同(とその連合軍)の盟主が覇者と呼ばれるようになっていったわけですね。こうした様相が、春秋時代を「覇者の時代」と呼ぶゆえんです。例えば楚の荘王などは英雄的君主であり、春秋時代の代表的な覇者である春秋五覇の一人に数えられたりします。
※五覇という概念自体が陰陽五行説に基づいた数合わせのため、斉の桓公と晋の文公以外は史料や学者によって解釈が異なります。その中で荘王は比較的含まれる場合が多い君主となっています。

 

下剋上の風潮と春秋の終焉
 そののち、諸侯国において次第に大臣級の貴族である卿や大夫たちの権勢が強まり、君主の威権が低下していきます。まるで周王がそうであったように、諸侯の君主がお飾りとなっていくわけです。さらには卿大夫の家臣がその貴族の家を牛耳って間接的に国を支配するなど、権力の下降である下剋上の風潮が生まれていきます。

 その結果起きた一大事件が、晋の貴族である韓氏、魏氏、趙氏による晋国領の分割です。その過程を説明すると長くなるので割愛しますが、晋の主要な貴族であった6つの家柄が互いに争いあった結果、范氏(士氏)、中行氏(荀氏の本家)がまず滅亡、その後最大勢力だった智氏(荀氏の分家)を韓魏趙の3氏が滅ぼし、晋の領土を分かち合ったのです。3氏はしばらくは晋公をお飾りの主とし続けましたが、紀元前403年に周王によって3氏とも諸侯に列せられることになり、その君臣関係は解消されました。

 この紀元前403年か、または紀元前453年の智氏の滅亡による3氏の権力確立などを境とし(諸説あり)、春秋時代の終焉、戦国時代が始まることとなります。


 この間に呉越同舟、臥薪嘗胆の故事で有名なの国の台頭やその攻防など、全土的には様々な出来事があるのですが、1つの記事には書ききれないので割愛します。とりあえず春秋時代の大まかな枠組みが理解できれば、次に投稿予定の記事についてもある程度分かりやすくなるのではないかと考えています。

 

おすすめ図書
【春秋時代の概観を楽しめる小説】

 春秋戦国を雑に楽しみたい人に向いている娯楽小説。基本的には史実ベースなのですが、物事の解釈に皮肉っぽさがあふれるエンターテインメントとなっています。何ていうか、ぶっちゃけすぎみたいな感じで面白い。

 

 南宋の曾先之によってまとめられたとされる歴史読本を、中国歴史小説の大御所である陳舜臣さんが小説化したもの。庶民的な目線での正統派な歴史小説といえます。三皇五帝の伝説時代から南宋まで網羅したボリュームたっぷりの歴史モノ。春秋戦国までを読むなら一巻でOK。

 

【春秋の代表的覇者・晋の文公を描く小説】

 中国歴史小説の大御所、宮城谷昌光さんの小説。多彩な史書による綿密な時代考証と、その上に載せた壮大な仮説が彼の小説の魅力です。春秋の雰囲気を楽しむならおすすめの歴史大作となっています。

 

【春秋時代のハイライトが分かる学術書】

 東洋史研究の大家である貝塚茂樹さんによる責任編集。春秋戦国時代研究における「通説」を、歴史上有名だったりドラマチックだったりする場面を中心に解説していく。元の文章の年代が古いため、現在の研究では否定されている内容(例えば『孫子』の著者=孫臏説など)も含まれている点には注意が必要。

 

【春秋時代の通史がわかる歴史書】

 孔子の『春秋』は内容が端的すぎるため、後世の人物が何種類かの注釈を残しています。春秋左氏伝(左伝)はその中でも最も「歴史書」としての質を高めることに注力したものとなっています。著者は左丘明とされてきましたが、時代考証により別人の著作である可能性が高いとされています。原書の翻訳なので学術的に興味がある人におすすめです。