アラド戦記:コメント企画「質問回答」@アラド戦記におけるレイドコンテンツの立ち位置

 ちょっと日にちが開きましたが、残っていた質問への回答です。


Q.レイドの実装は良くも悪くもゲーム性の袂を分けた
 コンテンツであると言えるが、日本でレイドシステムの
 導入は成功だったのか失敗だったのか。
A.アラド戦記というゲームのアイデンティティの1つとして
 屹立していることは確かであるといえる。

コンテンツ改革は必要だった
 従来は1~4人制のMOアクションとしてカジュアルなゲーム性を(高難易度の難しさはともかく)持っていたアラド戦記。レイドダンジョンの実装は、確かに従来のゲーム性を大幅に覆すアップデートであったと言えます。

 何しろ最初のレイドであるアントンが総勢20人を必要とする一大レイドコンテンツであったのもあり、それまでの「その場で適当に人を誘って遊ぶ」というスタンスから、固定レイドで定時にガッツリ消化とか、野良レイドでも大体この時間帯にこの攻撃隊が建っているからログインするとか、プレイに対するある種の“縛り”が増大したことは否めないと思います

 また、それまでは何だかんだ低ランクの異界装備さえ整っていれば異界ダンジョンには参加できるしクリアもできる、ギミックも極端な無知でなければどうにかできるという環境だったのが、エピック級の火力装備または職特有の組み合わせの装備が必須になったり、ギミック対処のみでなく拘束などのプレイヤースキルも以前より高いものが求められたり、レイドダンジョンの仕組みを知っておく必要があったりと、参入ハードルが高くなったことも間違いないでしょう。

 ただし、それまでのダンジョンでは常に短時間刻みの反復作業が求められていたこと、そして同じダンジョンを数年にわたり続ける場合があったことなどを鑑みると、何かしらの改革が行われなければ飽きられるリスクも同様に高かったと考えられます。

 異界ダンジョンとか5年くらい通ってませんでしたっけ? その後のレクイエムもリベ武器さえ取れば後は金策ダンジョンだったし、そういう「目的性」のないゲームにマンネリを感じるプレイヤーが一定数いたのも確かだと思います。とはいえレクはまだレジェンダリードロップのロマンがあるだけマシでしたけどね。

 というわけで、もしレイドという形でなくても何かしらの新しいコンセプトによるダンジョンは必須だったと言えます。まあ、アントンは本来「誰もがクリアできるわけではないエンドコンテンツ」という枠組みだったので、等倍ルーク以降の「クリアする方が主流」というタイプのレイドとは本来異なるんですけどね。

 ただし、アントンからルークまでに数年を費やしたことを思うと、コンテンツ開発にかかるリソースの多さや、新たなコンテンツ形式に対するパターン形成の難しさはあったのではないかと思います。レイド以外の形式で新コンテンツの開拓を行っていたらアップデートがもっと頻繁になっていたのかどうか。

 レイドに対する雑感は下記記事でもまとめています。

アラド戦記:超主観的レイド評価ランキング1~3位(コメント企画)

アラドの個性となったレイド
 アラド戦記のレイドは4人PTを複数組み合わせ、戦略的に攻略させるタイプのダンジョンであることが特徴といえます。各ダンジョンに有機的な仕組み(アントンでいうと根源をクリアして激戦、艦砲、足が解放され、激戦や艦砲を放置すると攻略状況がリセットされ、足を4本折ると1フェーズクリア、という形)を持たせ、さながらプレイヤー自身がユニットとなる小さなシミュレーションゲームの様相を呈しました

 こうした仕組みが存在することによって、各プレイヤーのコミュニケーションも活発になりがちで、攻撃隊そのものがある種のコミュニティになっていたとさえ言えます。野良であっても良く参加する面々ではチャットが活発でしたし、また若干の待機時間があることによって会話する余裕もあったという感じですね。

 個人的にはアントンの戦略性やコミュニティ性には最高評価を上げたいほどの出来だったので、他のゲームには見られない形式のレイドを作り上げたネオプルの方針は素晴らしいものであったと思います。細かいバグだの何だのはさておいて。

 

上位層向けから一般コンテンツに
 ただし、アントンレイドはリーダーに求められる負担が大きいものであったため、ルークレイド以降は戦略性の概念が極めて簡略化されました。基本は一本道だけど寄り道をする必要があるルークレイド、自動で円形の進路を移動する鳥からタイミングを合わせて入場するイシスレイドなど、最低限落としてはいけないダンジョンこそ設定されつつも、基本的な攻略パターンは多少グダったところで変わらないのが基本となりました。フィンドは中国発だったので若干複雑だったと思いますが。

 また、それと同時に「誰でも参加していくべきコンテンツ」「参加しなければやることがなくなるゲーム」という風潮も出来上がってきました。だからこそガイドダンジョンが実装されたとも言えますからね。

 そういった意味では、アントン実装時の意図と異なる環境が現出しているとはいえます。ある種のソシャゲ的導線であることも否めませんからね。プレイするのに一定の投資(現金かどうかはともかく)が必須のものとなっていたのもそういった路線を反映しています。

 その結果、レイドというコンテンツ自体があっという間にマンネリ化する傾向も出てきており、単調なゲーム性に飽きたり、ソシャゲ的な数字を積み上げるだけの導線に飽きたり、その過程における課金アイテムの比重の高まりに萎えたりすることで、長年続けたプレイヤーがゲームから離脱する事案も増えていることは確かです。

 

次なる転換期か
 そういった意味では、レイドという形式に頼って面白さを確保する時代もそろそろ終焉に近いと言えるかもしれません。DNFの新任(といっても復帰)ディレクターはそういう空気を感じ取っていたのかいないのか、レイドのみでなく通常のダンジョンにもある程度の比重を置いた枠組みを110レベルキャップで導入しました。

 サンドバッグ至上主義からの脱却という方針も、その命題そのものは極めて的確であり、「数字が全て」というゲームが流行る時代は終わってきたのではないか、と思うフシは実際にあります。

 とはいえ、110のコンテンツにも理想とは異なる側面で問題が多々あるようなので、その辺は上手く軌道修正してもらいたいものですが。今の時代、必要時間を無駄に増やすゲームも時代遅れとか色々ありますからね。

 個人的にも、110キャップでのプレイ環境によっては主要4キャラを惰性で稼働するだけになるかもしれない、という側面はあるので、何かしらのアクセントが得られるならそれは歓迎すべきことだと考えています。

 たとえばコミュニティでは多様なフレンドとその場で遊べるように戻るのか、固定or身内で完結せざるをえない環境が持続するのか課金環境ではこれまで通り2~3年に一度ガッツリ課金すれば最上級のものがそろう環境が持続されるのか、より一層搾り取ろうとしてくるのかコンテンツ内容としては例えばレクイエム時代までのようにダンジョン攻略を工夫して動画にしたりする楽しみが戻るのか、あるいは相変わらずごり押しor強制ギミックの対処に終始する作業が続くのか。こういったゲームとしての面白さの経年劣化をどう処理していくかが問われていると言えるでしょう。

 

まとめ
1.アラド戦記の個性を際立たせる意味でレイドの存在は画期的だった。
⇒戦略性やコミュニティ性に関しては他に類を見ない。

2.そろそろ一般コンテンツとしてのレイドの賞味期限は切れ気味。
⇒ルーク以降の変遷。オズマレイドの出来は良かったが、
 マンネリ化の加速や装備ファーミング形式などの課題も。

3.110キャップで行われようとした方針転換は妥当と言える。
⇒あくまで理念的なものに対しての話で、課題は山積みだけど。
⇒収益の上げ方(課金体系)に関しても、特に日本では問題と言える。

 以上、アラド戦記におけるレイドコンテンツの立ち位置について考察してみました。ひとくちに「レイド」といっても、最初のレイドであったアントンと、ルーク(等倍)以降ではコンセプトも導線も大きく異なってきています。