雑記:まず自分が動くということ

投稿日 2021年3月11日 最終更新日 2021年3月11日

人間の多くは受け身である
 人は多くの場合、敢えて他人に働きかけたいとは思わないけど、他者からの働きかけそのものを拒むわけではない。さほど不思議ではないことだと思います。もちろん知らない相手であるとか、明らかに原因があって嫌われているなどの場合はハードルが上がるけど、そういうのは例外ということで。

 時には誘い待ちって状態もあります。相手がいればやりたいけど、自分から働きかけるのは面倒or気おくれするor相手の目星がつかないってパターン。私自身もそうしたい局面はあるので、その気持ち自体はすごくわかる。結局のところ、他者へ働きかけるのってエネルギーを使うんですよね。

 つまり、是非やりたい、やってほしいことがある場合、自分から他者に働きかけることに気おくれは必要なく、むしろ物事をスムーズに運びたいなら他人に期待するのでなく自分から動くのがベターになりやすい、ってことです。

 

直接依頼>不特定依頼
 そして誘われたり依頼されたりする側の視点だと、直接名指しまたは個別の会話orチャットで誘われると喜ばれるものだったりします。自分に照らし合わせてみると何も不思議なことはないと思います。

 これが「誰か~し(てくれ)ませんか」のように、集団の中で不特定のメンバーに働きかける形だと、反応する割合は一気に下がります。「自分が名乗り出る」という行為が必要なためハードルが上がるのでしょう。そして手間のかかることの場合、やりたくないというのも人間の心理。ただし、当人が是非やりたかったことであるなら応じる可能性が高くなります。

 しかし、上記の問いを行って誰も名乗り出なくても、後で個別なり指名なりで依頼したりすると、案外応じてくれるから人間って面白いです。よっぽど嫌であるか、スケジュール的に不可能でない限りは応じる可能性が高い。

 もちろん、互いが同じ組織に所属しているとか、同じ趣味を持っているとか、同じコミュニティの人であるとか、そういう共通性がない場合や、相手へ与えるデメリットが大きすぎる場合には依頼そのものに必然性がなくなるので、応じてくれる可能性は下がります。

 

当たり前に見えてやる人は少ない
 こうやって文章にしてみると特段不思議なことは何一つないと思うのですが、実際にはそれでも「誰か~~してくれる人いないかな」とか、あるいはもっと後ろ向きな発言をツイッターなどで行っている人は後を絶ちません。私も相手に見当が全くつかない場合はそういう発言をすることもありますし。

 しかし、相手に見当がつく場合はピンポイントで働きかけてみると物事が進む可能性は一気に上がりますし、そうでない場合も「誰かいないかな」でなくむしろ自分が進んで募集する、場を作る、といった働きかけを行ってみると成功率が一気に上がるということはいえます。

 オンラインゲームやソーシャルゲームで例えると、直接誘ってパーティメンバーを集める、とか、自分でギルドを作って募集していく、とかが一例といえると思います。この例でもわかりますが、自分で作った環境は、自分でルールや運用法、スケジュールを決めやすいというメリットもあります。人より労力やエネルギーを費やした見返りのようなものですね。

 他者の用意してくれた環境を求めるのは確かに気楽ですし、エネルギーも消費しません。とはいえ、是非ともやりたいこと、やってもらいたいことがあるなら一度考えを改めて、自分が変わる、自分が行動する、という選択肢を考えてみると道が開けることもあるのではないかと思います。


1.人は受け身であることが多い
2.誘われたら意外と快く応じてくれることも多い
3.不特定多数より個別にそれぞれ働きかけるほうが強い
4.自分で作った環境はコントロールしやすい

 もちろん、複雑な諸要素や利害関係を考えればすんなりいかないことも多いかもしれませんが、あてどなく待つよりは自分がどうにかするというスタンスの方がスムーズにいくことだけは間違いないでしょう。

 何かを変えるってことは 自分自身を変えるということと ほとんど同じなんだよと某アーティストの歌詞にありますが、まさにこの通りです。(これは今回の話題のみでなく、あらゆることに通じる概念だと思います。予定調和については別の記事でまとめてみても良いかもって今思いました。)他人が勝手に動いてくれることを祈る暇があったら自分が動いてみるということは、何かに行き詰った時にふと振り返ってみるべき事案の1つとであると思います。