1年ほど前からそこはかとなく構築してきた思考が固まってきたので、まとめてみたいと思います。
もくじ 1.不毛な争いの激化 2.地位財&非地位財とは 3.それぞれの特徴 4.基本無料ゲームの変転 5.ソシャゲも転化している 6.戦う“意味”はあるのか 7.自己目的を再考する 8.コスパでも考えてみる 9.自分にとっての“かち”
1.不毛な争いの激化
まず個人的な結論から言いますと、優劣を競い合うことで幸福感を得させようとする社会構図と、そのレールに乗っかることの不毛さを極めて強く感じるようになってきています。
以前から少しずつそういう空気感を感じるようにはなっていたのですが、そこはかとないものであったため、時折ツイッターでそれっぽい発言をにおわせる程度の言語化しかできていませんでした。
しかし最近、地位財と非地位財という言葉を偶然知ることになり、これだ!と感じるに至ったわけです。といことで、まずはこの2つの言葉の定義についてまとめます。
2.地位財&非地位財とは
地位財:他者との比較によって満足が得られる財 非地位財:他者との比較とは関係なく満足が得られる財
例えばお金や社会的地位、家や車のようなモノなど、他人と比較することでその価値を定義づけられ、満足感につながるものを地位財と言います。
自分の方が年収が高いとか、自分の方が高い階級にいるとか、自分の方が大きな家に住んでいるとか、自分の方がより高級な車に乗っているとかいった自慢の対象物ということですね。
一方、健康、時間、自由、愛情などの「他者との差異を比べる」ことを要しない物事を、非地位財といいます。自分の方が健康だとか、自分の方が暇だとか、自分の方がより愛情のある生活をしているとかで自慢する人も、それで初めて満足感を得られるという人もそうそういませんよね。
3.それぞれの特徴
地位財の特徴は、より多くを所持していれば安直に満足感を得られる代りに、その寿命も短いこと。例えば最新の高級車を真っ先に購入して他人にマウントを取っても、その数年後にはまた上位モデルが出現しますよね。このように、“常に勝ち続けるには常に上を目指さなければならない”という強迫観念が付きまとっていきます。
また例えば、1億円の豪邸を建てて周りに自慢していたら、別の富豪が10億円の豪邸を建てて引っ越してきたなんて話もあり得ますよね。このように“上には上がいる”ということも地位財の特徴です。いずれにも共通する要素として、終わりも際限もない競争が繰り広げられ続けるという点が挙げられます。
なので、ある特定の地位財によって満足を得られる期間は比較的短いものになりがちです。
とはいえ、人間がいくら知恵のある生き物とはいっても所詮はサルの進化系のようなものなので、マウントを取ろうとすること自体は生き物の本能として仕方のないことだそうです。ただし、やりすぎたら他人から反感を買うし、またその行為自体が本人にとって幸福であるかは別問題であることも付記しておきます。
一方、非地位財は他人との比較が基本的に意味をなさないことが多いので、自分の価値観が変わらない限り、その主観的価値は維持されるというのが特徴です。
自分が健康であれば、他人がより元気であっても特に気になりませんよね。自分が休暇を過ごしているとき、他人が休みか仕事かは(遊ぶ約束でもしないかぎり)気になりませんよね。自分に仲の良い友人たちがいれば、無関係の他人が仲良さそうにしていても気になりませんよね。まあ、そもそも満たされていない場合については「リア充爆発しろ」みたいな現象が発生しますが…。
逆に、これらのことでもし優越感を感じる状態であるなら、ちょっと自分のマインドを見直した方が良いのではないかと思います。コミュニケーションの一環として「優越感があるように見せかける」遊びなんてのはインターネットの友人同士でちらほら見かけますが、モノが違うと私は見なしています。
なお、個人的な見解ですが、純粋に好きだから手に入れたモノや、純粋に好きだから行う趣味なども非地位財だと認識しています。アウトレットで手に入れた掘り出し物の服がお気に入りとか、上手い下手を気にせずに個人で楽器を楽しむとか。もちろん、お気に入りのものが高級品である場合もあるわけで、その区分は極めて精神的なものになってしまうのがややこしいですが。
4.基本無料ゲームの変転
近年、特にここ5年くらいでしょうか。“基本無料”ゲームの課金アイテムやガチャの方向性が「一部の層から重点的に搾り取る」形から、「マス層から全体的に搾り取る」スタイルに転化していっているように見受けられることは、下記の記事でも述べました。
重課金や強さへの課金の在り方(旧来) 運営 :課金=強さではなく、利便性や 見た目などへの課金が中心。 ユーザー:重課金者の割合はごく少数で、 行うとしても課金売りが中心。
重課金や強さへの課金の在り方(近年) 運営 :強さに直結するアイテムやゲームコンテンツの スキップを商品化し、課金煽りが激しくなる。 ユーザー:重課金もありふれたものとなり、 安直に強くなるための課金は当然のものとなる。
要は、スタートラインに立つために、ある程度の課金を要求するシステムが増えてきたわけです。また、ハイプレイヤーのみが行っていた重度のキャラクター強化について、従来は課金アイテムを他プレイヤーに売るというプロセスで行われていた故に少数のお遊びであったものが、年月とともに「課金アイテムで直接そのプロセスを販売する」という方式になり、「これは課金してでも強くなるべき」と思い込ませるような圧をかけていく売り方が目立つようになっています。
これに関しては、「だれもがエンド(高難易度)コンテンツにいけるべき」という不思議な平等圧力も相まって、全員横並びだけどその分課金は必須だよという、一種の価値観のキメラ(合成生物)のような概念が現出しているように見受けられます。
一方、プレイヤー同士を競い合わせる(もちろん課金額が有利不利に大きくかかわる)設計のMMOも増えています。これらはいずれも、一定ライン以上のコンテンツを享受するためにはしっかり課金する必要があるという前提で設計されているという点が共通しています。
要は、娯楽の世界に地位財の優劣を競わせる要素を意図的に盛り込むような時代がやってきているわけです。
5.ソシャゲも転化している
ことソーシャルゲームにおいても、当初はあくまで「射幸心」を煽るタイプ(キャラコンプ欲とか)の課金が主なリソースを占めていましたが、こちらも近年「プレイヤー同士を数値上で競い合わせる」タイプのものが圧倒的に増えてきています。
1.通常のプレイ(ストーリーなど)に課金ガチャが必須になる例。 2.ランキングまたは対人コンテンツで課金額を競い合わせる例。
まず挙げられるのが、〇〇をクリアするには△△のキャラが必須、のような、コンテンツクリアのためにガチャを回させる、キャラクターを強化させるパターンです。こちらは比較的早いうちから、某パズルゲームや某英霊ゲームなどをはじめとして広まってきました。頻繁に更新され続けるガチャへの課金を、頻繁に行わせるような圧力をかける商法ですね。
次に挙げられるのが、プレイヤー同士を競わせることで課金煽りを強める方法です。例えばボスに対して一定時間or一定ターン中にどれだけのダメージを出せるかというダメージレースコンテンツ。ランキング上位に特別報酬を与えたり、ギルドやクランといったコミュニティでの勝敗を競わせることで、他者への優越感を求めさせるシステムですね
客観的に考えると、プレイヤー同士が競い合うことをエンドコンテンツに持ってくるのは「楽」なんですよね。強い敵をわざわざ用意しなくても勝手に盛り上がってくれるので。だから、安直に利益を上げやすいという意味でこうしたコンテンツが普及していったのかなと思っています。
このように、元々射幸心を煽るタイプの娯楽ですら、地位財による優劣の競い合いを重視するような傾向がみられるわけです。
6.戦う“意味”はあるのか
このような地位財の優劣を競う傾向はもちろんゲームに限らず、むしろ現実世界に直結した物事のほうでより顕著なわけです。そしてこれは前回の雑記(下記リンク)でも触れましたが、何でもカネでを付けさせようと煽る風潮が頂点に上った今こそ、カネの消費量が価値基準になる時代は実質的に終わったと思っています。
これはきわめて個人的な価値観の話ですが、例えばゲームでいうと、課金システムに体系づけられてしまった「やり込み」はすでにやり込みとは言い難いよね、みたいな感覚を持っています。これに関しては分からない人もいるとは思いますが。
具体例で示してみると、4人用ダンジョンを1人でクリアするやり込みには強いやりがいを感じたけど、1人向けの高難易度コンテンツと言われても、それってクリアできて当たり前だよね? みたいな感覚です。これはさらに個人的な価値観なので聞き流してくれて良いですが、例えばわざと弱い装備にしてクリアするような縛りプレイとは違うんですよね、これ。
現金を投入した額が強さに直結するタイプのゲームシステムも似たような感覚です。お金を投資するシステムがすでに出来上がっていて、その投入額でほぼほぼ勝敗が決まってしまう争い。つまりやる前から大体の勝ち負けは決まってるわけです。あえてやる意味ある? ってのが最近よく思うことです。
これがいわゆるPvE(モンスターなどのシステムオブジェクトと戦って攻略する)コンテンツであるなら「クリアできればOK」なのでまだしもなんですが、プレイヤー同士の戦いはそれこそ地位財で殴りあうことになり、永遠に終わらない戦いになるんですよね。
もちろん好きでやっている人を批判するわけじゃなく、好きにすればよいと思います。あるいは、例えば年収1億円の人が毎月10万円をゲームに使っても痛くもかゆくもないわけで、こうした無理のない浪費を楽しむのはコスパの悪くない娯楽とも考えられますね(これに関しては資産運用上の考えとして「10万円はだれにとっても10万円」という事実もあるので、浪費と投資は区別しましょうね)。
7.自己目的を再考する
とはいえ、近年の社会のあり方が、地位財の殴り合いを加速させることによって人々の資産を収奪させようというベクトルで動いていることも、改めて認識したほうが良いのではないかということです。
こればかりは個人の価値観なので好きなようにやれば良いのですが、実はやりたくもないのに周りの煽りを受けてなし崩しでやっていないか考え直すこともたまには必要なのではないかという提案です。
自分はどんな生き方をしたいと思っているのか、自分は何を目的として行動しているのか、そしてその目的に合った選択ができているかということを常に意識しておくと、無駄な浪費やストレスを軽減することができます。
日本には負けるが勝ちということわざもあります。他人に勝つことが自分にとって本当に必要なことであるかは一度見直してみても良いでしょう。そのうえで「やっぱり勝ちたい」って心から思うならそれも価値観です。
8.コスパでも考えてみる
あともう一つ、みんなが同じことをやり始めたら、すでにそれは本当のメタではないしアドバンテージも薄いという効率論で考えても、現状の世界における自己のアイデンティティを地位財に置いてしまうことは、あまり合理的ではないと個人的には認識しつつあります。
相場取引などの投機でも当てはまりますよね。稼げるトレーダーは相場反転の兆しが出る前または出た直後に食いつき、 養分にされる一般トレーダーはニュースなどで相場反転が取り上げられてから食いついて失敗する、みたいな。ニュースになった時にはもう遅いんですよっていうアレ。
対戦ゲームでも、最上位プレイヤーにとっての本当の勝ちパターンは必ず秘密にされるわけです。SNSなどで拡散されたものは既に知られても問題ないか、もう使わなくなったものでしょうし、まとめサイト等で広まったものについてはせいぜい、中堅レベルの層が大きく負けないための共通認識くらいまで価値は薄れているでしょう。
みんなが同じことをやりだしたら、次に新しくやり始めることを別で考えるのが効率的にも最上の答えとなってくるわけです。要は、何らかの達成感や勝利感を得たい人にとっても、消費するカネの量で争うのはあまり効率的じゃない時代になっているということです。
みんながお金の消費量で競い合うフェーズに入っている今は、カネの消費量がメタ(勝ちパターン)という状態が頂点に来ているといえます。みんなが躍起になって消費争いをしている中、同じ土俵で敢えて争ってもし勝ててもコスパが悪いですよね。そんな中に割って入って競い合うのはあまりスマートでもないし面白味もないってのが個人的感想。
例えばソシャゲでは、いわゆる天井(確定入手)まで課金して初めて人権獲得、本当に強くなるにはさらに同じものを何回も運で引く必要があるみたいな話になってきてるわけじゃないですか。これもあまりにコスパが悪いなーって生暖かい目で見たりしてるわけです。
9.自分にとっての“かち”
そうした消費争いに乗っかるくらいなら、自分だけのメタ、自分だけの価値観を見つけてそれをベース生きる選択肢を考えてみてはどうかということです。そうすれば戦い自体が発生しない、または競い合う相手がいても多数ではないって考え方ができるのではないかなと。
物量による勝ち負けではない、例えば自分の個性をアイデンティティとして何かしらの活動をするのも良いし、単純に面白いものを自分にとっての娯楽として享受するのも良いし、1人だけで趣味に勤しむのも良いし、仲の良い友人たちと時間を過ごすことを最高の娯楽と考えるのも良いし。
自分にとって本当に“価値”のあるものを追求することこそが、真の“勝ち”なのではないでしょうか。もちろん、考えた上であくまで他者と地位財で競い合うことがやっぱり楽しいんだということになれば、それも1つの答えです。ただ、地位財だけを追求する人生って正直、疲れるしストレスがたまると思いますけど。
個人的には、もう札束の殴り合いで勝っても大して面白くないかなというのが本音です。そんなことにお金を使うよりは生活の質を高めようと、住みやすい家に引っ越したり、家具や調度品をより気に入ったもので揃えてみたり、お金の消費ベクトルが大きく変わってきています。
量よりは質で楽しんだり個性を出したりしていきたいですね。2021年からはゲームプレイでも特にそういう意識が強くなってきている自覚があります。
要するに、非地位財の追求を重視する生活スタイルに入ってきたということですね。実際にはこの言葉を知る前からのスタンスなので、後付けでちょうど良い言葉を当てはめたという形ですが。
ゲームにお金をかける場合でも、他人とは無関係に自キャラを好きなだけ強化しようとか、フレンドと遊ぶ機会を保つために時間を使ったりとか、そういう傾向が強まっています。
もちろん、非地位財には一切お金がかからないなんていうことはないので、ある程度の生活資金を確保していく努力は必要です。むしろこれからの社会では無意識に働いているだけだとそれすら難しいので、意識してお金を稼ぐなり貯めるなり運用するなりしていきながら、自分が心から求める生活スタイルを目指していくということになります。
まとめ 1.不毛な争いの激化 ⇒優劣を競い合う社会構図の激化 ⇒それに追随することへの不毛感 2.地位財&非地位財とは 地位財:他者との比較によって満足が得られる財 ⇒お金、社会的地位、家、車など 非地位財:他者との比較とは関係なく満足が得られる財 ⇒健康、時間、自由、愛情など 3.それぞれの特徴 地位財:常に上を目指し続ける必要がある。 上には上がいるので際限がない。 非地位財:自分の価値観が変わらない限り、 その主観的価値は維持される。 4.基本無料ゲームの変転 ⇒一部の層から重点的に搾り取る形から マス層から全体的に搾り取るシステムへ。 ⇒娯楽の世界でも地位財を競わせる商法が激化。 5.ソシャゲも転化している ⇒射幸心重視のガチャ課金から 地位財で競わせるコンテンツ設計に。 6.戦う“意味”はあるのか ⇒投入金額で勝ち負けが決まる戦いに意味はあるのか。 ⇒地位財で競い合う戦いには上限も終わりもない。 ⇒もちろん好きでやっているなら自由。 7.自己目的を再考する ⇒社会のあり方を俯瞰的に見る必要性。 ⇒「実はやりたくない」のにやっている可能性。 ⇒自分の望むライフスタイルや目的に沿った 選択ができているかを見直すのが大切。 8.コスパでも考えてみる ⇒みんなと同じ土俵で争うのは効率が良くない。 ⇒みんなが同じことをやり出したら、 新しいことを考えるムーブが強い。 9.自分にとっての“かち” ⇒自分だけの価値観で生きれば不敗。 ⇒自分の個性を生かすのも良し。 娯楽を追求するも良し。 1人だけの趣味に励むも良し。 知己との交友を楽しむも良し。 それでも札束で殴りあいたいならそれも良し。 ⇒非地位財の追求を重視する生活スタイル。 ⇒もちろんそれでも一定のお金は必要。
1つの記事内では過去イチの長文になってしまった気がします。そこまで長文になる予定でもなかったんですが…。